こどものPTSD

2022年5月 6日 (金)

卒業おめでとう 入学おめでとう

卒業おめでとう!

入学おめでとう!

 

この日を迎えるのを

想像することもできなかった日々があった。

 

5年生のときの事故から

はじまって

 

学校に行くことができなくなって

毎日授業はどんどん進んでいく

思い通りにいかない心身のバランス

 

苦しんでいる息子の涙と

怒り

 

この苦しみに

いつ終わりが来るのだろうと思ってた。

 

 

高校なんて

遠い遠い話のように思ってた。

 

あの頃のわたし達に教えてあげたい。

 

大丈夫

 

大丈夫だよ、って。

 

 

自分から行きたいと思える学校ができて

そのために一生懸命頑張って

 

もうそれだけでも十分だと思った。

 

心が前を向くことができたこと。

 

それが

何よりも

何よりも

嬉しかった。

 

学校に行くことが一番の目標ではなく

 

前を向いて

息子が笑顔になれること

 

それが願いだった。

 

時間はかかったけど

でも、

ある時から

トントントン、、って

あっという間に回復の道を進んでいった。

 

息子の場合は

適応教室という居場所ができたこと。

自分に自信のもてるファッションという好きなものができたこと。

気のおけない友達、信頼できる先生と出会えたこと。

 

それらが後押しして

グングン、、って

成長していく姿をみることができた。

 

とはいえ、

心のバランスは行きつ戻りつしながら。

 

でも、心配しない。

 

もうPTSDの縄目は完全に脱したといえる。

 

 

 

 

卒業式

入学式

 

それはとても大きな節目。

 

でも

 

その式典ではなく

家でその時を迎えた子たちもいるだろう。

 

でも

行けなかった自分を責めたり

我が子が大切なものを失ったと思わないで。

 

言葉にならない想いや

確かな経験を積んで

目には見えない門出を迎えてる。

 

ひとつひとつ踏みしめて前に進んで

今より大きくなった自分が先に待ってる

目には見えなくても

そんなスタートラインに立っているのだから。

 

 

今、この時期

新学期

先が見えなくて追い詰められているかもしれない。

 

苦しい

苦しいね、、

 

でも

出口のないトンネルはない、って

それは本当です。

 

子どもの中には

親も本人も想像しなかったようなものが秘められてるんです。

 

だから

心配しないで。

楽しみに待ってもいいと想う。

 

大きな世界に飛び出そう。

学校はとても素晴らしいところ。

でも

学校がすべてではないのだから。

 

道は一つではないと知れたことは

きっと大きな糧となっていくと

信じます。

 

 

これから

高校生活もきっと

いろいろあると思います。

でももう覚悟はできてます。

 

それでも

息子の中にあるものを信じてる。

 

目には見えなくても

確かにわたし達の手をひいてくれる方がおられるから。

 

大丈夫

 

大丈夫。

 

* * * * * * * * * * * * *

 

息子の喪失からはじまった記録。

これを一つの区切りとしたいと思います。

 

PTSDになって

息をするのもやっという日々

藁にもすがる想いで

同じような経験をして、

PTSDを克服した方の記事はないかと

必死に探した。

 

でもなかった。

 

PTSDは長く人の人生に影響を及ぼすものだから

そう簡単に

「治りました!」なんて書けるものではないのかもしれない。

 

だから

わたしが綴ろうと思いました。

 

もちろんその方の経験した状況により様々だと思うから、

なんの参考にもならないかもしれない。

 

でも

子供時代にPTSDになって苦しんでいる方やそのご家族にとって

少しでも助けになったら、嬉しいです。

 

今その苦しみの中にいる方達のもとに

光がありますように、

祈ります。

 

 

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2020年10月17日 (土)

君はダイアモンドの原石 〜自粛と不登校のあいだ〜

2月27日(木) 

安倍首相が翌週から全国に休校要請をするというニュースを前に

「一年生のクラスに行けるのは、、明日しかないよ!」

わたしは息子の顔を見て言った。

 

 

前の記事の時間までさかのぼると、、

息子が適応教室に出会って通えるようになったところまで書いたと思う。

 

「楽しかった〜」と行って帰ってきていたのだけど

それからすぐに

適応教室も行けなくなってしまい、

9月の終わりくらいまで悶々とした日々を送っていました。

 

せっかく拓かれた道

それなのに行けない自分、、

そうして落ち込んでは自分を責めて、怒りを爆発させたりしていました。

 

でも父の少し厳しい態度への反抗心をバネに

なんとかまた足を運べるようになったのでした。

 

そして怪我から2年の日を迎えようとしていました。

1年目の時は、

怪我をしたその時間が迫ってくるのを数日前から恐れていました。

もう一度恐怖を再体験するかのような行動をしていました。

 

でも2年目が近づいてきても、

特に変わったこともなく毎日を送っていました。

まるで忘れてしまったかのように。

 

1年目を過ぎた時は調子を崩しましたが、

2年目を過ぎても大きく調子を崩すことなく時間が流れていきました。

 

「乗り越えた、、!」

 

そう感じました。

 

適応教室には週に1〜3回程度

お昼からの重役出勤で通っていました。

 

自律神経の不調はまだ続いていました。

 

そして2学期も終わろうとする頃、

夕方もう暗くなってから

担任の先生が三者懇談の時間を特別に設けてくださって

不登校になってから初めて中学校に行くことができました。

 

そこで

三学期には授業やホームルームの一部分だけでも

なんとか学校に来れるようにしたい、

と息子は先生に伝えたのでした。

 

学校に来ることが恐ろしくてならなかった頃からは考えられないほど

前向きになっていました。

 

そして三学期になりましたが、

なかなか気持ちと機会を見出すことができないままに3月を迎えようとしていました。

 

そこで発表された安倍さんの要請でした。

 

3月というと、

子どもたちにとって、先生にとって、保護者にとっても

特別な時です。

 

共に過ごしてきた仲間との別れを惜しんで

残りの日々を心に刻んでゆく、、

そういう時です。

 

それが突然絶たれたのです。

 

子どもたちや先生のことを思って泣きました。

一年前の卒業式までの日々を思い出しました。

あの大切な時間が急に奪われてしまうなんて、、。

 

しかし

 

3月にはなんとか学校に行かないと、、

明日行けるかな、来週行けるかな、、

また行けなかったらどうしよう、、

そんな気持ちが渦巻いていたであろう息子の背中を

安倍さんの要請は逆に押してくれるものとなりました。

 

「明日行くしかない!」

 

そして28日の金曜日

数カ月ぶりに制服を着て、

終わりのホームルームの時間に、

みんなのいる教室に行くことができたのでした😃

20分くらいの短い時間でしたが、

大きな大きな一歩を踏み出せたのでした。

 

結果的に1年生のクラスは翌週の数日間も続いたのですが

(そうですよね、でないと先生も大変です💦)

休校要請が大きな原動力となったのは、本当に神様の憐れみでした。

 

そしてはじまった休校

続いての緊急事態宣言

 

すべての子どもたちだけでなく

大人も

引きこもりの日々に突入しました。

 

学力の低下を心配する声がよく聞かれましたが

「そんなこと、ぜんぜん心配しなくてもいいですよ〜!」と

不登校を経験している息子の母は言いたい。

 

全国みんな同じように遅れるんですから

何を心配するのでしょう?!

 

学校でただ一人

クラスでただ一人

取り残される経験を味わった者にとっては

そう思えるのでした。

 

もちろん厳密に言ったら

休校に入った子どもたちの家庭の格差によって

学習の格差が生まれる、、ということはあると思いますけどね。

 

去年、

1年生の一学期

授業も何もかもすべて遅れていく中で

日本の学校システムは

一度歯車から外れてしまったら、そう簡単には戻ることはできないのだと

まざまざと痛感させられたのでした。

 

追い詰められていく中で

不登校の子と母親が心中した話が頭に浮かんでいました。

 

子と母が孤立し追い詰められていく構図がよく理解できました。

もし父親や親戚、周囲の人々が

「学校に行くのがしんどい想い」を理解できず、

学校に行くことが当然なのだと思う人たちであったなら

容易にその道へと転がり落ちるのだろうと、、。

 

今とても不登校の子達が多いです。

コロナ自粛後、特に増えています。

 

なんだか、

学校システム自体を見直す時なんじゃないかな、、と思う。

みんなが決まったカリキュラムを修得するのではなく、、😞

でも、その話は今は置いといて、、💦

 

 

休校解除となってからは、

息子は喜んで適応教室に通っています。

引きこもりに慣れていた息子もさすがに引きこもりに飽き飽きしたのでしょう。

通える頻度も増えてきました。

 

そしてこの自粛期間

大きく変わったことがあります。

 

それは息子がグンと背丈が伸び、肩幅も広くなり体型が変わったこと。

そしてなんと、、

ファッションに目覚めたことです😵❗

本当にそれは

わたしも夫もまったく予想だにしなかったことでした❗❗


久しぶりに息子に会った人は

本人だとわからないくらい見た目と服装がかわりました👀

そして親から見てもなかなかセンスがあるんですよね。笑

 

 

息子は元々レゴが好きだったり

絵を書いたり工作が好きだったりしたので

そういう道に進むのかなぁ、と思っていましたが、

 

先日適応教室の先生との懇談で

「ファッションの高専がありますよ」とオススメされるほどになりました、笑。

 

一年生の夏休みの宿題で

人権や環境問題などの作文を書くものがあり、

息子はそれだけでもとなんとか提出しました。

内容は「地球温暖化について」でした。

 

できあがった文章を読んでわたしは驚きました。

六年生の夏休みの宿題で書いた作文とは雲泥の差ほどに

文章力がついていたからです。

 

しかし息子は六年生も休みがちでしたし、

国語の授業もちゃんと受けられたともいえないほどだったのです。

 

でも

「成長してる」のです。

 

子どもたちは大人があれこれ教え込まなくても

「成長する」のです。

 

なんだか、

この当たり前のことに

感動しました。

 

大人はあれもこれも習わせて

勉強させてあげないと、、と思いがちです。

 

でも

子どもたちの中に何が眠っているのか

それは本当に未知数なのです💡



 

少し前に

息子が将来の道について話していた時

「でも全然勉強できてないし」「〜〜ができないし」とか

自己卑下する言葉ばかりがでていました。

 

そのときにわたしは

最近家族でテレビでみたダイアモンドの原石のことを交えて話しました。

「言はダイアモンドの原石なんだよ」

「今は光ってないと思えたとしても、いろんな経験が言を磨いて、削って、キラキラ輝かせてくれるんだから」

 

 

息子は今

毎日適応教室に行くのが楽しくて仕方ない様子。

友達とのやり取りが嬉しいティーンエイジャーとなりました。

適応教室という居場所が与えられたことは本当に大きなことでした。

 

先日は中学校の学年別体育大会にも参加することができました。

はじめは応援だけする、と言っていたのが

最終的にいろんな競技に参加したようでした(^w^)

息子の中で自信もついてきているようです。

 

 

 

「息子が不登校なんです」

って言ったら、みなさん顔を曇らせて心配げな顔をされるでしょう。

 

でも

この数年間の息子の苦しみから今は解放されて

「普通の不登校児」になった❗と胸を張って言えます、笑。

(もちろん不登校の子たちの痛み、悩みは様々です)

 

今は「中学校に戻ること」が目標ではありません。

息子にぴったりの道がきっとある。

それが中学校に戻ることならそれで良しだし、

戻らなくてもそれで良し。

 

未知数の息子が

これからどんな風に歩いていくのか

楽しみだ✨✨



 

 

 

 

 

 

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2019年7月 1日 (月)

息子よ 道はひとつではない

4

ブカブカの制服を着て新中学生になった息子

 

数日ほど学校に通いました。

 

真新しい制服はまだ真新しいままかけられいます。

夏服の制服にいたっては袖を通されることなくかけられています。

 

 

中学校という社会は

想像をはるかに超えて

ハードルが高かったです。

 

 

小学校時代に怪我をして

PTSDを発症してからは4ヶ月学校をお休みして

でも6年生からは

週に一度しか登校できないこともあったけど

それでも夏休みから運動会までは一日も休むことなく通えて、、

怪我から一年を迎えた日からまた調子が崩れてきて、、、

でも

なんとか卒業を迎えて。

 

卒業式の日、名を呼ばれ

誰よりも凛とした声で応える息子の姿がありました。

 

 

中学の担任の先生には家庭訪問のときから事情を説明して、よく理解してくれていて

息子のことをとても心配してあたたかく声をかけてくださっています。

ユーモアがあって優しい先生のクラスに導かれたのです。

小学校からの仲の良いお友達も同じクラスになりました。

(たぶんそう配慮してくださったのだと思っています)

 

でも楽しい中学校生活を送る間もなく、息子は通えなくなりました。

 

 

こんなにも長く苦しまなければならないのか…

それを痛感した数ヶ月でした。

 

中学校は小学校と違って

教科ごとに先生が違っていて

それも大きかったかもしれません。

遅れて、2時間目からでも、3時間目からでも、

お昼からでも行ってみる?と毎日声をかけましたが、

事情を知らない先生のいる教室に行くことは

難しいことでした。

小学校の時はすべて知ってくれている担任の先生が待っていてくれましたから、

お昼からの2時間だけでも頑張って登校したりしていました。

 

 

PTSDの症状で

社会性を保つのが困難になる、というのがあります。

 

息子はまさにその状態。

自分にとって楽しい場所であっても、人がたくさんいて社会性が求められる場所には

行くことができなくなります。

教会もそうです。

教会は楽しくて大好きな場所ですが、

やはりたくさんの人がいます。

だから調子が悪い時は教会にも行けなくなります。

 

毎日届く欠席連絡。

どんどん授業が遅れていく焦りと迫ってくる中間考査。

特に勉強にちゃんと取り組んでいる中学校なので、教科書以外のワークブックもどんどん届きます。

 

新学期なので、連日のように提出しなければならない書類、そして購入しに行かなければならないものがあり

息子は通うことはできなくとも、学校に行かなければならないので母は通いました。

毎日の学校とのやりとり、、。

 

母の心も限界でした。

 

 

随分と時間がかかってやっと提出したクラスへの自己紹介のカード

「好きな場所」の項目に息子は

 

「学校」

 

と書いていました。

 

息子は学校が嫌いではないのです。

好きなのです。

友達も好きでたくさんいます。

先生も好きになりたいのです。

 

でも、心身が言うことをきかなくなります。

 

PTSDになると自律神経の調子も崩れるので

頭痛や腹痛、動悸、下痢や食欲低下、めまい、吐き気、、

心に強い不安が生じると体にもいろんな症状がでてきます。

 

 

毎日

ああ、今日も行けなかった

ぼくはなんて駄目な人間なんだ、、

 

そう落ち込んで

 

どんなに

 

「今は調子が悪いんだから、休んだらいいんだよ」

って言ったって

 

頭をかかえて

自分を打ち叩いて

 

そんな息子を毎日見て、、

こんなことを続けていても

回復できない

 

そう思いました。

毎日積み重ねられていく劣等感。

こんなんじゃ心が自由にならない。

 

休学できないかな

1年、2年とか

まるまる休んで

外国にでも家族で滞在したらどうかな。

 

フリースクールも考えましたが、

フリースクールでも社会的な場所には違いないし、、

ホームスクーリングで私が教えるしかないか、、

そんなことも考えていました。

 

でも息子はやっぱり

友達のいる学校に何とかして通えるようになりたいと思っていました。

 

 

そんなことを思いはじめた頃に

市内のこころのクリニックを受診しました。

 

クリニックの先生から

「学校に行かなくても良い環境に身をおくこと」を勧められました。

「適応教室」というところについても教えてくださいました。

 

不登校の子のためのフリスクールのようなところがあると、他市の情報ですが聞いていたので、

学校に相談してみることにしました。

 

まもなく転地学習(林間学校)を控えていました。

息子は参加したい、と話していたので

それだけでも参加できたら、、と思っていましたが、

近づいてくるにつれ、やはり参加できそうにもない自分の現状に

息子は荒れて、泣いていました。

 

子どもたちが中間考査の期間でした。

担任の先生と学年主任の先生に相談して、

市内の適応教室を紹介してもらいました。

その適応教室に通えたら、学校も出席扱いになるそうです。

 

出席日数のことはもはやもうどうでもいいことのように感じましたが、

何より息子が一歩踏み出すことができたなら、、と思い

中学校は期限を定めず当分お休みさせてもらうことにし、

週末に迫っていた転地学習も参加できないことを伝えました。

 

 

「転地学習 行きたかったな…」

息子はポツリとつぶやいていました。

 

中学校への行き帰りや校舎の中で見かける

制服を着た息子の同級生たちの姿

部活動をしている姿

 

しんどいこともあるでしょうけど

みんな一生懸命、緊張しながらも頑張っています。

色んなことを我慢して取り組んで、達成したり、責任を身に着けたり

友情を育んで、恋をして、、キラキラ輝いて、、

中学校とはそういう場だと思います。

 

他の子達をうらやんだり妬んだりする気持ちはないのだけど

優しい息子にも中学校生活を送らせてあげたかったなぁと

 

制服を着た子どもたちを微笑んで見ていても

ふいに涙がこぼれそうになるのでした。

 

 

でも、

適応教室という場への道が拓かれたことで

一気に心が軽くなりました。

 

学校に戻りたいと思っていた息子も

こころのクリニックの先生の言葉などからも

気持ちを少し切り替えることができたようでした。

 

 

それから市の教育支援課に連絡し、息子の現状を説明し

適応教室に通う許可をいただけました。

 

 

そして息子は先週から通っています。

お休みをはさみながらですが、

とっても楽しんでいます。

 

制服はありません。

みんな私服で、スポーツもたくさんして

自由学習というスタイルです。

学習タイムに勉強できる子はして、

難しい子はギターを弾いたりドラムを叩いたり本を読んだり、、

色んなことをします。

 

中間や期末も、受けたい子はここで受けられます。

 

スタッフのみなさんも、あたたかい方ばかり。

通う子たちも不登校の痛みを経験している子達ですから、

よくわかってくれています。

 

一年生は息子だけということもあるのか、

とても可愛がってもらってるようです。

 

この適応教室に通うことで

子どもたちは社会と関わりを持ち

また中学校に戻れる備えをしています。

戻らずにここから卒業する子もいます。

その子それぞれです。

 

適応教室のことをまだ知らなかった時に

フリースクールやホームスクーリングの話を息子にしました。

 

その時に、

人生の道は一つではないこと、

中学校を出て、高校を出て、大学を出る、、、という多くの人が通る道以外の道も

たくさんあるのだと伝えました。

人と同じ道でなくたっていいんだと。

 

うちはいいお手本がすぐそばにいます。

 

父は

若かりし頃アジア各国を一人旅するバックパッカーでした。

その後モンゴルで日本語教師をして

日本に戻ったら新聞記者と雑誌編集者をして

30を過ぎたお父さんになってから、福祉を学ぶため関西に戻ってきて大学に入って

今は病院で働いている、、、

という一風変わった経歴の持ち主。

 

さらに母は

出版社でデザイナーとして働いていたと思ったら病に倒れ

やっと慣れてきた社会人生活を失ってしまったような療養生活に入りました。

でもその療養生活があったおかげで漫画を描く機会が与えられ

その後、憧れていた作家三浦綾子さんの名作を漫画化させていただくような驚くべき人生が待っていたのです。

挫折と思われたところに花が咲いたようなものです。

 

父と母の人生を見ただけでも、人生って一つじゃない

何が待ってるかわかない、でもすごくおもしろい、、って思えるよね。

 

だから、

今のこの苦しみも

これから息子の道が豊かになっていくための材料だったんだと

思える時がきっとくるから、、

神さまってすごいんだから、、って

 

そう話していたのです。

 

 

何もかもはじまったばかり。

 

今は息子の新しい世界を

母はせっせとお弁当作りをして(給食はないので、笑)

応援したい。

 

「いってらっしゃい」と言えることは

当たり前のことじゃない。

 

それを痛感し続けてる数年間。

 

 

いってらっしゃいと言って

 

おかえりと言えること

 

テレビを観て一緒に笑いあえること

 

家族と一緒に暮らせること、、

 

 

数えきれない恵みが毎日に散りばめられてる。

 

 

崩折れそうな時に、不思議と祈ってもらえる場がひらかれて、、

支えられている。

 

私たちを取り囲む

大切な人たち、、

本当にありがとう。

 

 

 

 

息子と同じような経験をした人のために。

 

克服した経験談を誰か書いてくれてないかな、って探したけど

なかなか見つけられなかったから、、

これからも書いていきます。

 

 

出口のないトンネルはない、

本当です。

 

 

 

 

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2018年4月17日 (火)

一人で行かないと意味がない

それからも

しばらくは

感情の爆発は続いていた

でも

少しずつ頻度が減っていった

そしてついに

爆発はおさまった

なんとなく

出し切ったのかな、、

という感じだった

一気に回復したように

感じた

そして

「放課後 学校まで行ってみる」

自分からそう言い出した

徒歩3分で行ける学校が

とても遠くなっていた

学校の近くを歩くことさえ

恐ろしくて 苦しくて

目を向けることもできなかったのに…

息子の中で

何かが動き出していた

夕方

少し青い顔をしている息子に

「お母さんも一緒に行こうか」

と言うと

息子は

「一人で行かないと意味がない」

と一言

「いってきます」

戻ってくる息子の足音に耳を澄ませた

10分たつかたたないかくらいで

息子は帰ってきた

靴箱のところまで行って

友達に手紙を置いてきたそうだ

この一歩は

本当に大きな一歩だった

あんなにも

恐ろしかった場所に

一人で足を踏み入れることができたのだ

先生に会うのは

まだ難しかったのだけど

約1ヶ月後の放課後

先生にも会うことができた

ずっと心配して

あたたかく見守って、待っていてくださった先生

とても喜んでくださった

機転をきかせて

家庭科と体育のテストをしてくださった

少しでも成績をつけられるようにと

それからも

毎日たたかいの中にあって

自分の眉毛や髪の毛を引き抜いてしまったりもした

でも

とうとう

3学期が今週で終わる、

という時に

授業に顔をだすことができたのだ

息子が学校に行けなくなってから

4ヶ月がたとうとしていた

教室に入っていった息子をみて

友達たちが集まってきてくれて

声をかけてくれたり

抱きしめてくれたり

みんな ずっと心配しててくれてた

玄関先まで来てくれて

「会いたいんだけど」

と言ってくれた仲の良い友達

でも

息子は顔をこわばらせ

会えないと断ったことも

何度かあった

ごめんね、、

ほんとうにありがとう、、、

5年生はその日を入れて

残り2日だった

でも

大好きだったクラスに

友達たちの元に戻ってこれた

嬉しくて

嬉しくて

祈ってくれていた家族や友達に

報告した

みんな

自分のことのように喜んでくれた

息子の人生の中で

たいせつな一歩を踏み出せたこと

多くの人に支えてもらったことを

神さまに感謝した、、

そして

5年生最後の終業式

この前は1時間と終わりの会だけ行ったけど

この日は朝から

集団登校のみんなと一緒に登校した

帰宅した息子は

疲れた様子だったが

少しスッキリした顔をしていた

しかし

がっかりしたように

通知表を手渡した

「◯◯くんは『よくできた』が◯個もあったのに、

ぼくは◯個しかなかった、、」

当然のことだった

だけど先生は

3学期まったく授業を受けれなかった息子のために

精一杯つけられる部分を探して

成績をつけてくださったのだ

それでも確かに

斜線だらけの通知表を見て

ショックだったようだ

でも

この4ヶ月間

息子は

たたかい

もがき

向き合い

たいせつな学びをしてきた

それは

成績では表すことのできない尊い体験だ

そう思ったら

涙がこみ上げた

「だいじょうぶ!

イエス様の通知表は満点だよ!」

そう言って

息子を抱きしめた

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2018年2月 1日 (木)

PTSD

まさか

という感じだった。

夜眠る前に息子が

布団の上に座って言った

「歯が折れてから一ヶ月くらいだね」

「そうやね。
明日でちょうど一ヶ月やね

よくがんばってきたね。。」

この一ヶ月の息子の姿を思い浮かべて

わたしは言った

そして

その翌日から

息子は学校に行けなくなった

学校で

急に胸が苦しくなったり

冷や汗がたくさん出てきたり

吐き気がしてきたり

学校にいなくても

学校や、

学校に関わることを考えると

体に変調が出るようになった

(PTSD、、)

今まで幾度となく聞いたことはあったけど

自分とは関係のないことだった

この文字が頭に浮かんだ

心的外傷後ストレス障害

顔面に渾身のバットを受けたのだ

それは

想像を絶する恐怖だった

顔面にバットが当たった後

息子は

「ぼくの人生がおわった」と思ったそうだ

PTSDになって

当然だったのかもしれない

それから毎晩のように

悪夢にうなされる

青い顔をして

うなだれて

涙をずっと流す

自分を許せなくて

自分をたたく

フラッシュバック、、

そんな苦しみに怯える日々

夫は

大学で福祉を学び

精神保健福祉士でもあるから

この方面に詳しい

夫は

いずれ出てくるだろうと思っていたそうだ

怪我からちょうど一ヶ月

様々な喪失体験をした人が

ある区切りの期間を経て

精神的なショックがでてくることがあるそうだ

息子の場合もそうだった

とにかく

安心できる環境の中で

時間をかけて回復していくのを待つ日々、、

一時よりは回復してきたと思うけど

一進一退の日々

自分は何のために生まれてきたのか

この世界は何のためにあるのか

ぼくはこれからどうなるんだろう

人間はなぜ生きるのだろう

人間はなぜ生きるために生まれるのだろう

いずれ死ぬのに、、

息子は

そんなことも考え続けている

ふつう

青年期に考えるような

哲学的な悩みを

11歳の少年が自問している

あんなにも

友達と遊ぶのが大好きだった息子が

毎日引きこもって

友達が尋ねてきても

顔を見せることもできない

あんなにも

ひょうきんで

クラスのみんなを笑わせていた息子が

青い顔で思いつめている

そんな風に思うと

たまらなく苦しくなる

けど

救いなのは

教会には行けること

息子にとって

教会は家族

安心できる場所

だから学校には行けてないけど

教会は欠かさず行っている

ほんとに

ありがたい

教会のみんなに祈ってもらって

それがなければ

とても耐えられなかったかもしれない

学校のことや

いろんなことを忘れてるときは

いつもの息子通り

笑う

大好きなゲームしたり

Youtubeのヒカキンみてるときは

そこまで?

というくらい大爆笑してるときもある(^^;)

でも楽しく笑っていたかと思うと

急にうつむいて落ち込んでたりするから

それは

以前の息子にはなかったこと、、

昨秋

アートセラピーの学びをした

それは

「災害などで苦しむ人の助けになりたい」との想いから

その可能性として

アートセラピーにたどり着いたのだ

わたしが学んだ臨床美術は

直接的にはそういうケアをしている実績はない

でもアートプログラムをすることで

内面だけでなく脳も刺激される 

様々なよい影響がもたらされることがわかっていて

これから様々な分野で活かされることが期待されている

その学んだことが、

きっとこれからパズルのピースのようになって

何か道が見えてくるかも、、

学びを終えた時

そう思っていた

それが

PTSDで苦しんでいる息子を目の前にしていた

今わたしは

何ができるのだろうか

息子に

「絵を描いてみない?」といっても

気持ちが沈んでる息子は

そんな気になれないし

「これを通して回復してほしい」と願う

わたしの思惑を察して

よけい気が進まなくなる

無力

わたしは無力

「苦しむ人の助けになりたい」などと

声高に行動して

(もちろん心からそう思ったのだけど)

でも

所詮は

息子のためにも

お前は何もできないのだ

誰かに言われてるような

気がした

誰も

言ってないかもしれない

だけど

その想いがわたしを突き刺す

大切な息子が苦しんでいるのに

一緒に涙をながして

抱きしめることしかできない

毎晩

怖い夢を見ませんようにと祈って

でも翌朝

怖い夢をみたと目を泣きはらして起きてくる息子に

何もしてあげられない母親

ともすれば

落ちていくわたしの心

出口のないトンネルはないのだと

目には見えないけれど

共にいてくださる方がおられるのだと

思うようには

はかどらない回復に

目に見えないものを信じることが

いま

求められてるのだと

思わされる

数日前

なぜか無性に

絵が描きたくなった

夜の8時をまわっていた

「お母さん、なんだか絵が描きたい」

と言うと

「ぼくも描きたい」

と息子

アートセラピーの学びで出会った

オイルパステルを使って

描く

何かを描きたいというより

色や手触りや広がりを描きたいと思って

オイルパステルを

転がしたり

手でこすったりして動かしていたら

ふいに

物語が湧き上がってきた

「月は光を失ってしまいました」

「大変

 街の人々が月の光を楽しむ祭りがもう間もなくなのに」

「月は自分の光を探して旅にでました」

その物語をつぶやきながら描いていると

息子も

「ある日、朝日と共に人の乗っていない船が港に流れ着きました」

と物語を語り始めました

そしてまた

無言で手を動かす

「その船の中にあった宝の地図をもとに、人々は航海に出ました。」

無心に絵を描く

これこそが

アートセラピーの効果の出るところ

本当は

具象画ではなく抽象画的な絵を描くのだけど

そんなことはどうでもいい

無心になるとき

苦しみも

悲しみも

痛みも

過去も

未来もなくなる

ただあるのは 「今」

いろんなものから自由になる

不思議

絵を描こうって言っても

嫌がったのに

お母さん描きたいから描こうかな!

って言ったら

ぼくも描きたい、って言った

そっか

わたし自身が

描く喜びを味わっていたら

自然と

息子も惹かれるんだよね

なんだか

当たり前のことなんだけど

目からうろこだった

かなり遅い時間だったけど

時間は気にせず二人で絵を描いた

絵を描き上げた息子は

頬を高調させ

満足そうに絵を飾った

息子が学校を休んでから

ふた月を過ぎた

「見えることにではなく、見えないことに目を留める」

信仰を与えられますように

体の傷以上に

心の傷の回復は長くかかるという

じっと

静かに待つ

ゆったりと見守る

母となれますようにと

願う

「バネはね、伸びる前には縮まる

だからね、今のこの苦しいときも、、

これからグンと成長する

その前のステップなんだよ」

わたしの言葉に

息子はだまってうなずいた

Photo

朝日と共に訪れた船

Photo_2

宝の地図をもって航海へ

Photo_3

ある日

月は光を失ってしまったことに

気づきました

Photo_4

大変

街の人が楽しみにしている

星祭はもうまもなく

Photo_5

光を探す旅にでた月

ある日

地平線の向こうに輝く

大きな光を見つけます

「あ、あの光は、、、」

つづく、、かも(笑)

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喪失

あれは

昨年のハロウィンの日だった

学校から帰宅した息子は

「今日 野球するねん」と

嬉しそうに目をキラキラさせていた

6年生になってから

野球のおもしろさに目覚めたみたいで

放課後、友達と野球ができた時は

「楽しかった~」と毎回目を輝かせてた

「学校(の運動場)行ってくる」と

息子が出かけた後

デスクに向かって仕事をしていた

その時電話が鳴った

図書ボランティアで一緒のママさんからだった

普段電話がかかってくることはあまりない方だから

「どうしたのかな?」と思いつつ

電話にでた

「息子さんの顔にバットがあたったみたい

血を出てる

歯が折れてるみたい」

その方は慌ててそう言った

一瞬頭が真っ白になった

歯が折れてる??

とにかく行かなければ

徒歩1分で行ける学校が遠く感じた

駆け付けると

血を流して

分厚いガーゼが下唇にあててある息子の姿があった

上着は血まみれだった

表情はなく青ざめ虚ろな目の息子

口を少し開けさせてみると

歯が2本折れていることが確認できた

あまりのことに

息子を抱きしめて泣いた

野球をしていたお友達たちが

落ちている息子の歯を集めてくれた

歯は粉々にくだけていた

目を輝かせて出かけていってから

1時間もたっていなかった

その後、近所の信頼できる歯科に行き

診てもらった

口を大きく開けるのも難しい状況だったが

先生がなんとか診てくれた

前歯のサイドがそれぞれ1本ずつ折れていて

前歯も殴打のため動いてしまっていた

数ヶ月前に口内炎を診てもらった時に

「いい歯だ」と褒められたばかりだったこともあり

歯医者さんはとてもショックを受けられ

心配してくださった

その日ちょうど休みで外出していた夫も駆けつけてきた

「必ずなんとかします」とハッキリ言ってくださった歯医者さん

その言葉は震える心をどれだけ励ましてくれたか

その日は剥き出しになってしまった歯の神経を抜く処置をしてくださった

翌日は念のため脳神経外科へ

顎の骨も脳にも異常はなかった

最悪の状況は免れたのだと

とにかく

失ったものを嘆いても戻ってはこないので

顎の骨や

鼻が折れなかったこと

当たったのが頭でなかったことは

不幸中の幸いであったのだと

私たち夫婦も、息子本人も思った

今回のことで難しいのは

自分でこけて歯を折ったというようなものではなく

顔面にお友達の振ったバットが当たってしまった

ということ

ひどい打撲の痛みと

歯を失ったことに苦しむ息子

でも

バットを当ててしまった子の苦しみは

いかばかりか

そのことを思うと

何ともやりきれない

想いに押しつぶされそうだった

この出来事は火曜日であったと

記憶してる

切れてどす黒く腫れ上がっていた唇

しかし

子どもの回復力というのはすごい

翌週には口元の傷はすっかり治り

登校することができたのだ

かなりショッキングな出来事かつ危険な事だったので

学校でも問題になり

全校集会で話があったり、、、と

息子は一躍時の人(?)となった

求められれば気軽に歯を見せて

「歯が折れちゃったんだ」とお友達に説明していた息子

その後

参加できるか心配していた音楽会でも

アコーディオンの合奏と合唱をすることができた

そして楽しみにしていた奈良への校外学習も

笑顔で行ってこれた

大変な苦しみであったけど

その中で「いいこともあった」と発言した息子に驚かされた

今まで話したこともなかった別のクラスの子から

「大変だったね。歯はどうなったの?」と声をかけられたり

心配してもらえたりしたから

だという

そして何より

バットを当ててしまったお友達のことを

責める言葉は

一度も息子の口から出てこなかった

3年生の終わりの頃に

息子が起こしてしまった問題があった

それは誰かを傷つけたり、破壊したり

はたまた盗みを働いた

というようなものではないのだけれど

とても良くないことだった

それで息子は

「加害者になってしまった」苦しみを味わった

それは母であるわたしも同じだった

してしまった事は重い十字架となり

息子と母はずっと負っていかなればならない、、

そんな日々を過ごした経験があった

たぶん

その経験もあって

バットを振ったお友達の気持ちが

痛いほどわかっていたんだと思う

言葉にできないほどの衝撃と痛みを経験して

知ることができたものも

あったのかと、、

今回の出来事を通して

息子の成長を思っていた

それが

ちょうど

ハロウィンから一ヶ月がたとうとしていた頃だった

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