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2019年7月 1日 (月)

息子よ 道はひとつではない

4

ブカブカの制服を着て新中学生になった息子

 

数日ほど学校に通いました。

 

真新しい制服はまだ真新しいままかけられいます。

夏服の制服にいたっては袖を通されることなくかけられています。

 

 

中学校という社会は

想像をはるかに超えて

ハードルが高かったです。

 

 

小学校時代に怪我をして

PTSDを発症してからは4ヶ月学校をお休みして

でも6年生からは

週に一度しか登校できないこともあったけど

それでも夏休みから運動会までは一日も休むことなく通えて、、

怪我から一年を迎えた日からまた調子が崩れてきて、、、

でも

なんとか卒業を迎えて。

 

卒業式の日、名を呼ばれ

誰よりも凛とした声で応える息子の姿がありました。

 

 

中学の担任の先生には家庭訪問のときから事情を説明して、よく理解してくれていて

息子のことをとても心配してあたたかく声をかけてくださっています。

ユーモアがあって優しい先生のクラスに導かれたのです。

小学校からの仲の良いお友達も同じクラスになりました。

(たぶんそう配慮してくださったのだと思っています)

 

でも楽しい中学校生活を送る間もなく、息子は通えなくなりました。

 

 

こんなにも長く苦しまなければならないのか…

それを痛感した数ヶ月でした。

 

中学校は小学校と違って

教科ごとに先生が違っていて

それも大きかったかもしれません。

遅れて、2時間目からでも、3時間目からでも、

お昼からでも行ってみる?と毎日声をかけましたが、

事情を知らない先生のいる教室に行くことは

難しいことでした。

小学校の時はすべて知ってくれている担任の先生が待っていてくれましたから、

お昼からの2時間だけでも頑張って登校したりしていました。

 

 

PTSDの症状で

社会性を保つのが困難になる、というのがあります。

 

息子はまさにその状態。

自分にとって楽しい場所であっても、人がたくさんいて社会性が求められる場所には

行くことができなくなります。

教会もそうです。

教会は楽しくて大好きな場所ですが、

やはりたくさんの人がいます。

だから調子が悪い時は教会にも行けなくなります。

 

毎日届く欠席連絡。

どんどん授業が遅れていく焦りと迫ってくる中間考査。

特に勉強にちゃんと取り組んでいる中学校なので、教科書以外のワークブックもどんどん届きます。

 

新学期なので、連日のように提出しなければならない書類、そして購入しに行かなければならないものがあり

息子は通うことはできなくとも、学校に行かなければならないので母は通いました。

毎日の学校とのやりとり、、。

 

母の心も限界でした。

 

 

随分と時間がかかってやっと提出したクラスへの自己紹介のカード

「好きな場所」の項目に息子は

 

「学校」

 

と書いていました。

 

息子は学校が嫌いではないのです。

好きなのです。

友達も好きでたくさんいます。

先生も好きになりたいのです。

 

でも、心身が言うことをきかなくなります。

 

PTSDになると自律神経の調子も崩れるので

頭痛や腹痛、動悸、下痢や食欲低下、めまい、吐き気、、

心に強い不安が生じると体にもいろんな症状がでてきます。

 

 

毎日

ああ、今日も行けなかった

ぼくはなんて駄目な人間なんだ、、

 

そう落ち込んで

 

どんなに

 

「今は調子が悪いんだから、休んだらいいんだよ」

って言ったって

 

頭をかかえて

自分を打ち叩いて

 

そんな息子を毎日見て、、

こんなことを続けていても

回復できない

 

そう思いました。

毎日積み重ねられていく劣等感。

こんなんじゃ心が自由にならない。

 

休学できないかな

1年、2年とか

まるまる休んで

外国にでも家族で滞在したらどうかな。

 

フリースクールも考えましたが、

フリースクールでも社会的な場所には違いないし、、

ホームスクーリングで私が教えるしかないか、、

そんなことも考えていました。

 

でも息子はやっぱり

友達のいる学校に何とかして通えるようになりたいと思っていました。

 

 

そんなことを思いはじめた頃に

市内のこころのクリニックを受診しました。

 

クリニックの先生から

「学校に行かなくても良い環境に身をおくこと」を勧められました。

「適応教室」というところについても教えてくださいました。

 

不登校の子のためのフリスクールのようなところがあると、他市の情報ですが聞いていたので、

学校に相談してみることにしました。

 

まもなく転地学習(林間学校)を控えていました。

息子は参加したい、と話していたので

それだけでも参加できたら、、と思っていましたが、

近づいてくるにつれ、やはり参加できそうにもない自分の現状に

息子は荒れて、泣いていました。

 

子どもたちが中間考査の期間でした。

担任の先生と学年主任の先生に相談して、

市内の適応教室を紹介してもらいました。

その適応教室に通えたら、学校も出席扱いになるそうです。

 

出席日数のことはもはやもうどうでもいいことのように感じましたが、

何より息子が一歩踏み出すことができたなら、、と思い

中学校は期限を定めず当分お休みさせてもらうことにし、

週末に迫っていた転地学習も参加できないことを伝えました。

 

 

「転地学習 行きたかったな…」

息子はポツリとつぶやいていました。

 

中学校への行き帰りや校舎の中で見かける

制服を着た息子の同級生たちの姿

部活動をしている姿

 

しんどいこともあるでしょうけど

みんな一生懸命、緊張しながらも頑張っています。

色んなことを我慢して取り組んで、達成したり、責任を身に着けたり

友情を育んで、恋をして、、キラキラ輝いて、、

中学校とはそういう場だと思います。

 

他の子達をうらやんだり妬んだりする気持ちはないのだけど

優しい息子にも中学校生活を送らせてあげたかったなぁと

 

制服を着た子どもたちを微笑んで見ていても

ふいに涙がこぼれそうになるのでした。

 

 

でも、

適応教室という場への道が拓かれたことで

一気に心が軽くなりました。

 

学校に戻りたいと思っていた息子も

こころのクリニックの先生の言葉などからも

気持ちを少し切り替えることができたようでした。

 

 

それから市の教育支援課に連絡し、息子の現状を説明し

適応教室に通う許可をいただけました。

 

 

そして息子は先週から通っています。

お休みをはさみながらですが、

とっても楽しんでいます。

 

制服はありません。

みんな私服で、スポーツもたくさんして

自由学習というスタイルです。

学習タイムに勉強できる子はして、

難しい子はギターを弾いたりドラムを叩いたり本を読んだり、、

色んなことをします。

 

中間や期末も、受けたい子はここで受けられます。

 

スタッフのみなさんも、あたたかい方ばかり。

通う子たちも不登校の痛みを経験している子達ですから、

よくわかってくれています。

 

一年生は息子だけということもあるのか、

とても可愛がってもらってるようです。

 

この適応教室に通うことで

子どもたちは社会と関わりを持ち

また中学校に戻れる備えをしています。

戻らずにここから卒業する子もいます。

その子それぞれです。

 

適応教室のことをまだ知らなかった時に

フリースクールやホームスクーリングの話を息子にしました。

 

その時に、

人生の道は一つではないこと、

中学校を出て、高校を出て、大学を出る、、、という多くの人が通る道以外の道も

たくさんあるのだと伝えました。

人と同じ道でなくたっていいんだと。

 

うちはいいお手本がすぐそばにいます。

 

父は

若かりし頃アジア各国を一人旅するバックパッカーでした。

その後モンゴルで日本語教師をして

日本に戻ったら新聞記者と雑誌編集者をして

30を過ぎたお父さんになってから、福祉を学ぶため関西に戻ってきて大学に入って

今は病院で働いている、、、

という一風変わった経歴の持ち主。

 

さらに母は

出版社でデザイナーとして働いていたと思ったら病に倒れ

やっと慣れてきた社会人生活を失ってしまったような療養生活に入りました。

でもその療養生活があったおかげで漫画を描く機会が与えられ

その後、憧れていた作家三浦綾子さんの名作を漫画化させていただくような驚くべき人生が待っていたのです。

挫折と思われたところに花が咲いたようなものです。

 

父と母の人生を見ただけでも、人生って一つじゃない

何が待ってるかわかない、でもすごくおもしろい、、って思えるよね。

 

だから、

今のこの苦しみも

これから息子の道が豊かになっていくための材料だったんだと

思える時がきっとくるから、、

神さまってすごいんだから、、って

 

そう話していたのです。

 

 

何もかもはじまったばかり。

 

今は息子の新しい世界を

母はせっせとお弁当作りをして(給食はないので、笑)

応援したい。

 

「いってらっしゃい」と言えることは

当たり前のことじゃない。

 

それを痛感し続けてる数年間。

 

 

いってらっしゃいと言って

 

おかえりと言えること

 

テレビを観て一緒に笑いあえること

 

家族と一緒に暮らせること、、

 

 

数えきれない恵みが毎日に散りばめられてる。

 

 

崩折れそうな時に、不思議と祈ってもらえる場がひらかれて、、

支えられている。

 

私たちを取り囲む

大切な人たち、、

本当にありがとう。

 

 

 

 

息子と同じような経験をした人のために。

 

克服した経験談を誰か書いてくれてないかな、って探したけど

なかなか見つけられなかったから、、

これからも書いていきます。

 

 

出口のないトンネルはない、

本当です。

 

 

 

 

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こどものPTSD」カテゴリの記事

コメント

私の6歳の息子が円形脱毛症にかかり、こちらのブログにたどりつきました。 クリスチャンなんですね!私もです!ですが何故神様は私の息子にこんな病を、、と泣いてばかりでした。 ブログを読ませていただき、考え方がかわりました。だからこどもに正しく神様をつたなければならないと思いました。 息子さんの為に祈りと努力をされていて感心しています。ここにたどり着けたご縁で、私も息子さんのこと祈らせてください。 突然失礼しました。

投稿: はじめまして | 2019年9月18日 (水) 14時41分

ずいぶんと前にコメントいただいていたのに、
返信をせず申し訳ありません。
こちらのブログをめったに開かずにいたもので、、。

息子さん、円形脱毛症になられたんですね、、。
その後、回復されましたか?
半年くらいすれば回復したように覚えています。
とはいえ、長い時間でした。
自分がもっとこうしていれば、、とか
こうしてしまったから、、とか
思っていました。
苦しいところ、通られましたね。

クリスチャンなんですね!
嬉しいです。
つなげてくださった神様に感謝します。

現在の息子は受験生となり、行きたい高校も思い描けるようになりました。
一時期は学習がとても困難でしたが、
塾にも通えるようになりました。
今は毎日適応教室に通って、青春を謳歌しています😁

わたしは息子が小さな頃から、
神様の素晴らしさを伝えてきました。
ですが現在神様への反抗期真っ只中で
教会も長くいっていませんよ。
でも心配はしていません。
正しく揺るぎないものに反発したくなるのが反抗期ですから、
息子は戻ってきます。

お祈りをありがとうございます。
もう2年も経ってしまってますが(TT)
はじめましてさんと息子さん、ご家族みなさんのため
お祈りします。

素晴らしい主のいたわり、支えが日々ありますように、、。

投稿: ますみ | 2021年9月11日 (土) 21時44分

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