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2013年6月 3日 (月)

旭川ー長野政雄さんに出会う旅ー

先月末
旭川に第2回目の取材旅行にいってきた
2回目、といっても
たぶんこれが連載中は最後になると思うけど…

前回は連載がスタートする前の今から2年前
「塩狩峠」の主人公永野信夫のモデルとなった
実在の鉄道員 長野政雄さんが殉職された2月28日に行った
4歳の息子を連れて、2月の極寒の無人駅塩狩駅へ!
でもその日は、まるで用意されていたかのように
素晴らしいお天気だった
澄み切った青空と白銀のコントラストが美しかった
塩狩駅のすぐそばにあるのが「塩狩峠記念館」
作家の三浦綾子さんが「氷点」を執筆した当時の住まいが
そのまま移築されて記念館となったのだ

その2階に長野政雄さんの写真があった
そのきよい眼差しの彼の写真に
「会いにきましたよ」と声をかけた

その日に行くのは、なかなか、なかなか大変だったのだ
でも来れた…
その感慨ひとしおだった

今からおよそ100年前の今日
いのちをかけて人々を救った青年がいたんだ
彼のいのちがどれほど多くの方を救ってきたことだろう
その列車に乗っていた乗客はもちろんのこと
三浦綾子さんの作品を通して
彼の生き方を知った人々の人生を変え
救ってきたのだ
Photo

彼はこんな人でした
お顔立ちからも、その心のきよさが伝わってくるような方です

と、、、あぶない、あぶない
2年前の旅行記なってしまいそうだな…

前回は、彼が殉職したその日に行くことにこだわった
でも今回特に行きたかったのは、その事故現場
そして彼が最後の列車に乗り込んだ名寄駅と
彼が通っていた名寄の伝道所跡だ
そして
彼が感じたであろう旭川の初夏の風と光を体験したかった

とにもかくにも初日は三浦綾子さんのご主人
光世さんにご挨拶に三浦綾子文学記念館を訪れた
小説「氷点」の舞台ともなった見本林の中にたたずんでいる

光世さんとのご挨拶のあと、見本林をぶらっとした
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そしたら、なんともかわいいエゾリスに遭遇
Img_0007

しかも全然わたしを恐がらないで
ちょっかいを出してくる
かわいかった
すばしっこいので、うまく写真におさめられなかったけど

旭川は今、桜の終わりかけのシーズン
なので街のあちこちで桜吹雪を味わえた
といっても、本州のようなソメイヨシノではなく
エゾヤマザクラという品種
見本林の中でもそのやさしい姿を見せてくれた
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「氷点」の多くの場面がここ見本林で繰り広げられた
ここでルリ子が事件に巻き込まれたのか、とか
陽子が北原と出会ったのか
とか、、
思いを馳せながら歩いた
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初日はこれくらいで
翌日は朝から旭川の図書館に行った
わたしが知りたかったのは
郷土ならではの旭川の古い写真や鉄道の記録
と相当なマニアックなもの
などなど
いろんな資料を探してはコピーをとって
満足満足

その図書館は常磐公園という大きな公園の中にあった
たくさんの木々と美しい花々 キラキラと輝く池
ゆったりとした時間が流れていた
ここでも気になったのはタンポポ!
なんだかね、旭川のタンポポ、違うのよ
種類は本州のと一緒のような気がするんやけど
その花の咲き方というか、勢いというか
みんな花が一生懸命太陽に向かって乗り出しているような姿
街のあちこちで
タンポポのお花畑をみれた
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Img_0035
うーーん、
わたしのカメラの腕前では
ぜんっぜん!その感じが伝わらない!

そして、いざ、塩狩峠へ…
と思ったけど、お腹がすいたので、
バス停前にあった釜飯カフェへ
昔の石造りの建物を生かしたお店で、とってもステキだった

 

そこで山菜釜飯を注文すると
ほどなくして店員さんが運んできた
そして説明
「釜の下の火が20分で消えます。
そしたら(砂時計を指差して)
これをひっくり返していただいたら、5分でおちますから、
そしたら混ぜてお召し上がりください」
わたし「え…?それじゃあ、25分間食べられないんですか?」
少し笑いつつ聞き返した
店員さん「だから、20分で火が消えたら、5分間蒸らすのね。
そしたら食べられます」
なんとなく冗談が通じなさそうだったので、
それ以上追求するのはやめて、笑
なるほど、そうですか
25分間、目の前の釜を見つめてお預け状態なんですね、笑
この後、塩狩峠に行こうと思ってる私としましては、
電車の時間が気になったけども、
ま、これもまた思い出だ、とその待ち時間を楽しむことに
しばらくすると、お腹をくすぐる香ばしい匂いが…
Photo_2

胡麻や海苔とわさびという薬味もあり
さらに最後にはお出汁をかけてお茶漬けにしていただくという
美味しかった
イラストには描かなかったけど、あとでお味噌汁もきた

そして、いよいよ
塩狩峠に向かって出発しました
昨日、少し気になる情報をえて、、、
なんと、数日前塩狩峠に「クマ」が出没したそうなんです〜
え…?
クマって、、ヒグマ 超でかいぞ!!
わたし、、だ、大丈夫か〜?
でも、ここまで来て
いかないわけにはいかんのだ、と心をふるいたたせて

宗谷本線に乗って
いよいよ到着
新緑の塩狩駅
新緑、、といっても、
ほんとに若葉たちが顔を出し始めたくらい
まだ雪が残ってた
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これが長野政雄さん殉職の碑
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政雄さんへの思いを入れられるポストがあって
前回は熱い思いをしたためて投函した

 

まずは記念館へ
とにかくクマ情報を聞いてみよう
さらに、列車が停まったその事故現場に行きたかったから
その場所の詳細も聞きたかった
ところが、、
記念館のスタッフの方、
場所はわからないそう。。
そうなの?!
ここに勤めておきながら!?
とか思ったけど
多くの人は石碑を見て満足するし
わざわざ事故現場まで行こうとは思わない

どうしようかなあ、と思い向かったのは
塩狩駅のそばにできてた「塩狩ヒュッテ」という小さな民宿
カフェもあるそうだし、
ここのお店の人なら知ってるかも
お店の方は、ご家族でされてて
3人のお子さん(一番上の女の子は小学校1年生でわたしの息子と一緒だった)もいて
なんとも、こじんまりとしててアットホームな空間だった
しかもご夫妻は関西出身

そしてご主人に事故現場のことを訪ねると…
「いやー、わたしも詳細な場所まではちょっと…」と
でも、本棚からなにやら本を取り出してきてくれて、、
あ、、その本、わたし持ってます今カバンに入ってます。。
しかも、明日、その著者の方とお会いする予定なんですよ〜、とね。笑

「塩狩峠ー愛と死の記録」(いのちのことば社 フォレストブックス)を書かれた
中島啓幸という方、長野政雄さんの生涯を綿密に調べあげられた方

とにかく、事故現場は塩狩駅から和寒方面へ4kmほどの地点らしい
しかも何か目印になるようなものは何もないらしい…
たとえ辿り着いていたとしても気づかず通過するかも…。。
「クマ、、この時間でますかねえ、、」(←その時のわたしの重大事項、笑)と聞いてみたけど
あまりはっきりした返事がなかった…笑
引き止められなかったから大丈夫か、と
次の列車の時間が気になったけど、
行くしかない!
そして歩き出した
線路の上を!
4km、、
ムリかな、、、
とか思いながらも、行けるとこまで行こう、と
もしクマがでてきたら、
わたしは一体どうなるんだろう、とか
新聞の見出しまでが頭をよぎりつつも、、笑
(いや、もし本当に遭遇してたら、笑いごとじゃあないんだな

途中、列車が来たので、横のしげみにかくれ
しばし歩きました
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しかし、かなり歩きにくいし、
こりゃ危ないなあ、と思ってるところへ
踏切があって、
そこでごっついカメラで写真を撮ってるテッチャンがいらっしゃった
この人に何か聞いてみようと、と話しかけると、、
「もしかして、いま線路の上歩いてきてました?危ないですよ〜」
からはじまって、
それは法律違反なこと
線路脇にスペースのない所で列車に遭遇したら
大変なことになること、
わたしが持ってる時刻表にはのっていない特急列車や整備列車がくること…
などなど、教えてくださり
これはムリだな、と断念しました
ここで列車を停めてしまうようなことをするのは、
政雄さんの望むところではないから

Img_0089
明日、中嶋さんにお会いするし、
そこで色々教えてもらえるから、と気をとりなおして
また塩狩ヒュッテまでとぼとぼ歩いて…
準備不足だったのか、となんともいえない気分で

とにもかくにも、
原作のラストシーンはまさしくこの5月の終わりの時期
その風を感じて、自然に触れられただけで
大きな収穫だった

そして迎えた取材旅行最終日
向かったのは宗谷本線 名寄駅
塩狩駅から和寒駅に向かう時は
まさしく政雄さんが逆走する列車をとめようと
必死に行動されてた場所だと思うと
呼吸するのが苦しくなった
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車窓からは、大雪山が美しく見渡せた
途中、キタキツネが駆けていくのが見えたり
さすが、北海道!という景色満載だった


そして名寄駅に到着
政雄さんが見たであろう、ホームからの景色を写真におさめた

駅から徒歩10分ほどだろうか
名寄教会に到着した
これがまたなんと!
かわいい教会!!
Img_0168

明治42年に作られたこの教会堂は
街の文化財に指定されている
この教会堂は政雄さんが亡くなられた年に完成したので
政雄さんがここで礼拝をささげたわけではない
でも棟上げされ、建築されていく様をみて
きっと楽しみにされていたことだろう
今日はここで中嶋啓幸さんと一緒に礼拝をささげて
その後いろいろと案内していただく予定なのだ
まず教会堂に入ろうとして扉を開けようとするが…
あ、、、開かない!!
すると中から「引き戸なんですよ!」と
流暢な日本語を話すサンタクロースが
いえ、いえ、サンタさんではなく
この教会のウィットマー牧師だったわけです
白いおひげがなんともCuteな牧師先生
礼拝の後には美味しいカレーライスを教会のみなさんといただいて
さらには酪農家のおうちの「チーズ豆腐」なるものをいただきました
Photo_3
これがまた美味
モッツァレラチーズに似てるけど、それほど淡白ではなく
オリーブオイルと塩のシンプルな味付けだったけど
ほんと美味しかった
名寄の素朴であたたかな人達とおしゃべりして
とっても嬉しかった
北海道の人はいい人が多いな

そしてその後向かったのは
長野政雄さんが通われてた伝道所の形をそのまま残してる散髪屋さん!
青い屋根に白い壁の小さなかわいい建物
塗り直したり、貼り直したりはされてるけど
感動!
この建物の中で政雄さんは最後の伝道メッセージをされたんだ
そう思うと
わたし、この建物買い取りたい!
なーんて思った

それから
政雄さんが最後の列車に乗る前に
妹さんと姪御さんへのお土産に買った「名寄饅頭」のお店へ

残念ながら閉まってたけど
まだそのお饅頭を引き継いで作ってる人がいるのかと思うと
とっても嬉しかった

それから中嶋さんが連れていってくれたのは
名寄市の北国博物館
なんと、館長に連絡して
所蔵されている当時の名寄教会の日誌と
教会牧師の説教ノートを見せていただけるよう手配しててくださったのだ!
まさか、、そこまでしていただけるなんて
ほんと、感謝感激でした


その後、車で旭川へ
車内では1時間半
ひたすら相当にマニアックな会話を
中嶋さんとわたしはかわしてた
三浦綾子ファンでないとわからない世界でしたが、
それにしっかりついてゆけるわたしもなかなかのものでした、笑

政雄さんの事故現場についてたずねてみたところ…
「死ぬ気でいきましたよ」と言われた
すごい斜面だし完全なる獣道
わたしのような軽装&パンプスなどではとても行けるはずもなく
ちゃんとトレッキングのような格好で
しかも列車の来ない時間(早朝など)に行かないと
大変危険だということ
もちろんクマに出会う恐れもあるのだ
考えが甘かった…
でも原作のラストシーンは婚約者のふじ子と兄の吉川が
事故現場を訪れるという設定
どうやら、足の不自由な女性が歩けるような場所ではないらしい
そこは小説ならではのアレンジだったのだろう
そうか…
それならその現場にこだわる必要はないのかもしれない
一生のうち、いつか行けたら…
そう思う
そして最後に連れて行ってくださったのは
長野政雄さんのお墓ーーーー
まさか
まさか行けるなんて

「道ありき」を読んだことのある方なら
「春光台」をご存知だろう
その春光台とつながる位置に墓地があった
太陽の光輝いて
爽やかな風がふきぬけ
壮麗な大雪山をのぞんで…
これ以上はないという
ロケーションに墓地はあった
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このお墓の下に
政雄さんのからだが眠っているのかと思うと
涙があふれて
体がふるえた
そして
中嶋さんと共にお祈りした
わたしのような足りない者が
「塩狩峠」を描かせていただいて…
なんて恐れ多いんだろう…

でも
どうか
天から見ていてください
わたしがベストを尽くせるように…

お墓に手をふれて
「政雄さん 帰ります」と伝えた
(本当はお墓を抱きしめたいくらいだった←完全に危険な人
この出会いに感謝…
長野政雄さんという方
小説「塩狩峠」の主人公永野信夫よりも
はるかに素晴らしい人物だった
綾子さんは信夫の人間的な部分をかなり多く描いてる
もちろん政雄さんだって人間だったのだけど

だけど、ほんとうに
まるでイエス様のようなお人柄だったと
いろんな人の証言、文書に残ってる
神様が政雄さんを通してなされた奇跡
三浦綾子さんを通してなされた計画…
その一旦に関わらせていただけること
しかと胸に刻んで
旭川をあとにした

前回の旅もそうだったけど

今回の旅も
神様がしっかり備えていてくださった

わたしは
わたしの精一杯をおささげしていこう

4c


とてつもなくとりとめのない文章の
ながーーーいブログ
まさか、最後まで読んでくださった方
いらっしゃるのかしら?笑
ありがとうございます
大いなる神様の祝福がゆたかにありますように…

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コメント

たっぷりの旅行記に、自分も政雄さんに会った気分になれました。ありがとう。

投稿: 食いしん坊 | 2013年6月 4日 (火) 08時27分

>食いしん坊さん
旅を共にしてくれてありがとう
ひとりの人が真実のためにいのちをかける時
神様が奇跡をおこしてくださるんだな…と思います

投稿: ますみ | 2013年6月 4日 (火) 10時30分

私も、一緒に旅した気分になったよ~。ありがとう。
素敵な文章。

投稿: ゆうこ | 2013年6月 5日 (水) 21時49分

>ゆうこさん 
あのゆうちゃんかな?
ありがとう
ほんとうに大切な旅だったから、
たくさんの方にシェアしたかった
恵みのおすそわけ

投稿: ますみ | 2013年6月 6日 (木) 00時16分

そうだよ。たぶんあのユウコだよ。
最近3人のママになったユウコだよ。

投稿: ゆうこ | 2013年6月11日 (火) 18時42分

はじめまして。最後まで読んだから祝福もらえるかな(笑)
私も、ら○いの方で、歴史物描いてる者です。苦労する所がにているな。と思い、ついコメしとこうと決意しました。
ますみ先生の作品への思い、丁寧な取材記録,頭が下がります。
どれも素晴らしい記事でした。ありがとうございます。
祝福がたくさんありますように。

投稿: むぎ | 2013年7月27日 (土) 01時16分

>むぎさん

コメントありがとうございます

ら○いを読むときは、
必ずむぎさんのマンガをはじめにチェックしてますよ

構図とか、間合いとか
すごくセンスがよくて感心してます
本当に、戦国時代描くなんて、
どんなにか大変だろうと
ご苦労お察しいたします

わたしはというと、、
原作の内容をたったの毎月8pにおさめるのに四苦八苦で、
せっかくの取材内容を活かしきれていないのが
悲しいところなんですが

でも、たとえ紙面上にでていなくても
知らなければ描けないし描いてはいけない!と思うのですね。
この塩狩峠に関してですが、、


と、

すみません、、、
かなり内側の話でしたね、笑
ついつい同業者には…、、笑

むぎさんがこれからも
ますます神様にあって輝き用いられますように!

楽しみにしてます☆

投稿: ますみ | 2013年7月27日 (土) 22時36分

2013年5月塩狩峠でお会いして以来、このブログも何度か拝見していました。こちらは12月からしっかり冬になり、塩狩ヒュッテの除雪、塩狩峠記念館の除雪、塩狩駅の除雪に汗を流しています。それに加えて、2月28日のアイスキャンドル・塩狩峠の公演(朗読もしくは演劇)の準備も着々と進めています。「ますみさんは今も漫画塩狩峠をかいているだろう。私は私の持ち場をがんばろう。」と思っています。

投稿: 合田俊幸(塩狩ヒュッテ) | 2013年12月15日 (日) 07時21分

合田さん

コメントありがとうございます
ブログを何度も見てくださってること、本当に嬉しいです。
5月に合田さん一家とお会いできたこと、
すべてが神様の導きであったと感謝してます

極寒の塩狩峠での除雪作業、
どんなにかご苦労が多いことかと思います
遠く関西の地からお祈りしています。

塩狩峠での演劇か朗読の公演があるんですね!
素晴らしいです!
ほんとうに、ほんとうに嬉しいです
合田さん、中島さん、塩狩峠に関わるすべての人が
こうして永野政雄さんのいのちの奇跡の灯火をたやさずにいてくださることが…!

いよいよ正念場です。
わたしも精一杯臨みます。

くれぐれも
お体にお気をつけてください

投稿: ますみ | 2013年12月16日 (月) 10時53分

こじつけ鉄道情景:塩狩峠1909

北海道=蝦夷地は、古来、先住民アイヌの土地であった。1869(明治2)年、北海道開拓使が置かれ、旧会津藩士を始め、主に元幕臣の士族による開拓移民に続き、国内各地からの入植者が急増した。1876(明治9)年、大陸式大規模農業を目指し米国マサチューセッツ農科大学からウィリアム・スミス・クラーク学長を招聘した北海道大学農学部の前身となる札幌農学校が開学、1886(明治19)年には、北海道庁が東京から札幌に移され、国策によるサハリン樺太の開発とともに、開拓に拍車がかけられた。

1903(明治36)年、それまで「千年、斧を入れぬ」と云われた不毛の原野や湿原を縦断する北海道官設鉄道手塩線(のちの宗谷本線の一部)が、旭川から名寄まで数々の難工事を経て開通した。なかでも、天塩と石狩の国境で、両河川水系の分水嶺である塩狩峠は、急峻な勾配とつづら折りのS字カーブで、長らく北海道一の難所と云われた。

現在では、大出力で曲線通過速度の高いディーゼル特急列車が難なく駆け抜け、かつての難所の面影は薄れたが、列車がこの峠にさしかかると、静かに頭を垂れて黙祷する乗客の姿が散見される。
100年以上も前、ここで1人の鉄道職員が殉職する事故が発生した。 それは、彼の身を挺した行為によって、乗客全員が生還した出来事であった。

 1909(明治42)年2月28日夕刻、古いアメリカ製の蒸気機関車に牽かれた名寄発旭川行きの列車が、塩狩峠北麓の和寒駅に到着した。ここで後部に補助機関車(後罐あとガマ)を連結、プッシュ・プル(先頭の機関車と最後尾の後補機が「前牽き後押し」)態勢で険しい峠を越えるのだ。ところがこの日、なぜか後罐が来ない。
 列車は鉄道院製木造2軸客車が4両。結局、この日は、後罐のないままで出発した。
開拓期の北海道は若い活気に溢れ、編成中どの客車も満員だった。

汽笛一声、フルートのような単音の澄んだ汽笛を響かせ、列車は和寒を出発、順調に走りだした。雪に覆われたモミの木やエゾ松の林を抜け、徐々に速度を上げてゆく。
 ところが上り勾配に差し掛かると、砂を撒きながら勾配と格闘する機関車の、動悸のような喘ぎは不規則になり、動輪は空転、ロッドはガシャガシャともがき、暴れだす。登坂速度はみるみる落ち、今にも止まりそうに頂上付近に辿り着こうという、そのとき、「ゴキン」と鈍い金属音が聞こえ、最後尾の客車がスーッと力なく、頂上の手前で停止した。と、次の瞬間、ゆっくりと音もなく逆に勾配を下りはじめた。ねじ式連結器が破断したようだ。この頃、まだエア・ブレーキは普及しておらず、先頭の機関車は気付かずに行ってしまったようだ。
 「汽車が離れたぁ!」1人の乗客の叫びに、車内は騒然となり、パニックに陥った。

折しも、名寄から乗り合わせていた旭川運輸事務所庶務課主任の長野政雄(30)は、急いで車端部デッキにある手ブレーキに駆け寄り、そのハンドルを力いっぱいに回した。
速度は抑えられたようだが停まる気配はない。カーブで脱線転覆すれば、ちっぽけな木造客車など文字通り、木っ端微塵に粉砕され、多数の死傷者を出すことは必至だ。
この先には急カーブが控えている。車内は、阿鼻叫喚の坩堝と化した。悲鳴をあげる女学生たち、死ぬか助かるかで、賭けを始める若者たち、幼い娘をしっかりと抱きしめる父親、狼狽し震え声で念仏を唱える老婆、仕入れて来た大切な商品を庇おうと、手荷物に覆いかぶさる行商人、他になす術もない乗客たち…

客車は時速15マイル(約24km/h)ほどの速さで転がり続ける。「今のうちに停めねば…」 長野は、客室の乗客たちを落ち着かせながらデッキに戻り、短く祈った。わずか数秒だが、異様に長く感じられた。不安げに長野のほうを見やる乗客たち。
 「さらば!」。次の瞬間、長野は手すりを掴むと、勢いをつけて飛び越え、転がる客車の前方に身を躍らせた。体は放物線を描き、客車の床下に吸い込まれるように潜り込んだ。
直後、人骨の砕ける鈍い音とともに、土嚢にでも乗り上げるような衝撃があり、客車は軋んで停止した。カーブまで僅かに数メートル、果たして車輪は、長野の両下腿部を轢断、右側肩部から胸部にかけてフランジを食い込ませて止まっていた。出血性のショック死だったようだ。

 乗客たちは停止した客車から、恐る恐る雪の斜面に飛び降り、目の前の光景に息をのんだ。仄暗い夕闇の中、白一面の雪原に真紅の鮮血がほとばしり、車体の下に横たわる長野の亡骸があった。「停まった!」長野は車輪が自身の両脚を切り落とし、肋骨と内臓を引き裂いて停止したのを見届けてから絶命したらしく、その死に顔には成し遂げた安堵の表情があった。

 死後、なおも流れ出す彼の熱き血潮は、周囲の雪を溶かして血溜まりとなり、氷点下の大気中に白い湯気となって昇っていた。雪深い峠の静寂を破り、乗客たちのすすり泣きと慟哭はいつまでも続いた。

 キリスト者でもあった長野政雄の献身的な行為は、鉄道職員の使命感の発露として、新聞などで大々的に報道され、札幌や旭川では、長野の同僚たちの他、学生や市民、それに助かった乗客たちが挙って教会通いを始め、入信希望者が殺到したという。

 その後、長野の行為に感銘を受けた旭川市のキリスト教作家、三浦綾子(1922-1999)は1966年、小説「塩狩峠」を発表する。主人公永野信夫の幼少期から殉職を遂げるまでの物語は、長野の生きざまをモデルに結納などの脚色を加えたもので、1973年には国鉄の協力を得て映画にもなった。小説は、現在も学生や若者を中心に愛読されている。

 当時は信号所だった塩狩駅舎の傍には、「長野政雄氏殉職の地」の顕彰碑が建ち、近くには、この事件を一躍有名にした三浦綾子の小説「塩狩峠」の執筆の際に取材した資料を集めた「塩狩峠記念館」も併設されており、塩狩駅で乗降する旅人に限らず、内地や道内各地から訪れる、ツアーバスやマイカーの観光客、オートバイや自転車のツーリストたちも足を止める。

 雄大だが厳しい北の大地。弱地盤と過酷な気候による難工事と多大な犠牲もいとわずに建設され、開拓期には大勢の入植者を受け入れ、勃興期には石炭や海産物、酪農製品を運び、成熟期には多くの旅人を誘ない、凋落期には専ら通学生らの足を担い、上京する若者や故郷を捨てて出て行く家族を送り出し、わずかな乗客の為に、厳冬の豪雪の朝も、大勢の保線掛が徹夜で除雪を行ない、滅多に遅れることなく走り続けた逞しい北の鉄道と、愚直なほど律儀に、それを守り続けてきた鉄道職員たち。
かつて、蒸気機関車がプッシュ・プルや三重連で闘った塩狩峠も、今では最新式のディーゼル特急が一気に越えてゆく。しかし、100年前のこの出来事を知る者は、列車が峠に差し掛かると、長野政雄の献身に対し、感謝と追悼の黙祷を捧げるのだ。

 長野の殉職から1世紀を経た2009年8月下旬、名も無き旅人が顕彰碑に手向けた花束が、道北に秋の気配を運ぶ北風に耐えて、精一杯に咲いていた。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(新約聖書ヨハネ福音書12:24)

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(同15:13) 


投稿: Franz.Holzendolff木村 | 2018年10月26日 (金) 13時15分

Franz.Holzendolff木村さま

詳細かつ繊細な描写のコメントをありがとうございます。
鉄道についてお詳しいのですね。
わたしの足りない文章に、緻密な描写を添えてくださり感謝します。
聖書についてもよくご存知のようですね。
塩狩峠、長野政雄さんの想いがこうして多くの方の心に灯っていること、、神様の大いなるみわざを思います。

投稿: ますみ | 2018年10月29日 (月) 22時33分

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