2019年7月 1日 (月)

息子よ 道はひとつではない

4

ブカブカの制服を着て新中学生になった息子

 

数日ほど学校に通いました。

 

真新しい制服はまだ真新しいままかけられいます。

夏服の制服にいたっては袖を通されることなくかけられています。

 

 

中学校という社会は

想像をはるかに超えて

ハードルが高かったです。

 

 

小学校時代に怪我をして

PTSDを発症してからは4ヶ月学校をお休みして

でも6年生からは

週に一度しか登校できないこともあったけど

それでも夏休みから運動会までは一日も休むことなく通えて、、

怪我から一年を迎えた日からまた調子が崩れてきて、、、

でも

なんとか卒業を迎えて。

 

卒業式の日、名を呼ばれ

誰よりも凛とした声で応える息子の姿がありました。

 

 

中学の担任の先生には家庭訪問のときから事情を説明して、よく理解してくれていて

息子のことをとても心配してあたたかく声をかけてくださっています。

ユーモアがあって優しい先生のクラスに導かれたのです。

小学校からの仲の良いお友達も同じクラスになりました。

(たぶんそう配慮してくださったのだと思っています)

 

でも楽しい中学校生活を送る間もなく、息子は通えなくなりました。

 

 

こんなにも長く苦しまなければならないのか…

それを痛感した数ヶ月でした。

 

中学校は小学校と違って

教科ごとに先生が違っていて

それも大きかったかもしれません。

遅れて、2時間目からでも、3時間目からでも、

お昼からでも行ってみる?と毎日声をかけましたが、

事情を知らない先生のいる教室に行くことは

難しいことでした。

小学校の時はすべて知ってくれている担任の先生が待っていてくれましたから、

お昼からの2時間だけでも頑張って登校したりしていました。

 

 

PTSDの症状で

社会性を保つのが困難になる、というのがあります。

 

息子はまさにその状態。

自分にとって楽しい場所であっても、人がたくさんいて社会性が求められる場所には

行くことができなくなります。

教会もそうです。

教会は楽しくて大好きな場所ですが、

やはりたくさんの人がいます。

だから調子が悪い時は教会にも行けなくなります。

 

毎日届く欠席連絡。

どんどん授業が遅れていく焦りと迫ってくる中間考査。

特に勉強にちゃんと取り組んでいる中学校なので、教科書以外のワークブックもどんどん届きます。

 

新学期なので、連日のように提出しなければならない書類、そして購入しに行かなければならないものがあり

息子は通うことはできなくとも、学校に行かなければならないので母は通いました。

毎日の学校とのやりとり、、。

 

母の心も限界でした。

 

 

随分と時間がかかってやっと提出したクラスへの自己紹介のカード

「好きな場所」の項目に息子は

 

「学校」

 

と書いていました。

 

息子は学校が嫌いではないのです。

好きなのです。

友達も好きでたくさんいます。

先生も好きになりたいのです。

 

でも、心身が言うことをきかなくなります。

 

PTSDになると自律神経の調子も崩れるので

頭痛や腹痛、動悸、下痢や食欲低下、めまい、吐き気、、

心に強い不安が生じると体にもいろんな症状がでてきます。

 

 

毎日

ああ、今日も行けなかった

ぼくはなんて駄目な人間なんだ、、

 

そう落ち込んで

 

どんなに

 

「今は調子が悪いんだから、休んだらいいんだよ」

って言ったって

 

頭をかかえて

自分を打ち叩いて

 

そんな息子を毎日見て、、

こんなことを続けていても

回復できない

 

そう思いました。

毎日積み重ねられていく劣等感。

こんなんじゃ心が自由にならない。

 

休学できないかな

1年、2年とか

まるまる休んで

外国にでも家族で滞在したらどうかな。

 

フリースクールも考えましたが、

フリースクールでも社会的な場所には違いないし、、

ホームスクーリングで私が教えるしかないか、、

そんなことも考えていました。

 

でも息子はやっぱり

友達のいる学校に何とかして通えるようになりたいと思っていました。

 

 

そんなことを思いはじめた頃に

市内のこころのクリニックを受診しました。

 

クリニックの先生から

「学校に行かなくても良い環境に身をおくこと」を勧められました。

「適応教室」というところについても教えてくださいました。

 

不登校の子のためのフリスクールのようなところがあると、他市の情報ですが聞いていたので、

学校に相談してみることにしました。

 

まもなく転地学習(林間学校)を控えていました。

息子は参加したい、と話していたので

それだけでも参加できたら、、と思っていましたが、

近づいてくるにつれ、やはり参加できそうにもない自分の現状に

息子は荒れて、泣いていました。

 

子どもたちが中間考査の期間でした。

担任の先生と学年主任の先生に相談して、

市内の適応教室を紹介してもらいました。

その適応教室に通えたら、学校も出席扱いになるそうです。

 

出席日数のことはもはやもうどうでもいいことのように感じましたが、

何より息子が一歩踏み出すことができたなら、、と思い

中学校は期限を定めず当分お休みさせてもらうことにし、

週末に迫っていた転地学習も参加できないことを伝えました。

 

 

「転地学習 行きたかったな…」

息子はポツリとつぶやいていました。

 

中学校への行き帰りや校舎の中で見かける

制服を着た息子の同級生たちの姿

部活動をしている姿

 

しんどいこともあるでしょうけど

みんな一生懸命、緊張しながらも頑張っています。

色んなことを我慢して取り組んで、達成したり、責任を身に着けたり

友情を育んで、恋をして、、キラキラ輝いて、、

中学校とはそういう場だと思います。

 

他の子達をうらやんだり妬んだりする気持ちはないのだけど

優しい息子にも中学校生活を送らせてあげたかったなぁと

 

制服を着た子どもたちを微笑んで見ていても

ふいに涙がこぼれそうになるのでした。

 

 

でも、

適応教室という場への道が拓かれたことで

一気に心が軽くなりました。

 

学校に戻りたいと思っていた息子も

こころのクリニックの先生の言葉などからも

気持ちを少し切り替えることができたようでした。

 

 

それから市の教育支援課に連絡し、息子の現状を説明し

適応教室に通う許可をいただけました。

 

 

そして息子は先週から通っています。

お休みをはさみながらですが、

とっても楽しんでいます。

 

制服はありません。

みんな私服で、スポーツもたくさんして

自由学習というスタイルです。

学習タイムに勉強できる子はして、

難しい子はギターを弾いたりドラムを叩いたり本を読んだり、、

色んなことをします。

 

中間や期末も、受けたい子はここで受けられます。

 

スタッフのみなさんも、あたたかい方ばかり。

通う子たちも不登校の痛みを経験している子達ですから、

よくわかってくれています。

 

一年生は息子だけということもあるのか、

とても可愛がってもらってるようです。

 

この適応教室に通うことで

子どもたちは社会と関わりを持ち

また中学校に戻れる備えをしています。

戻らずにここから卒業する子もいます。

その子それぞれです。

 

適応教室のことをまだ知らなかった時に

フリースクールやホームスクーリングの話を息子にしました。

 

その時に、

人生の道は一つではないこと、

中学校を出て、高校を出て、大学を出る、、、という多くの人が通る道以外の道も

たくさんあるのだと伝えました。

人と同じ道でなくたっていいんだと。

 

うちはいいお手本がすぐそばにいます。

 

父は

若かりし頃アジア各国を一人旅するバックパッカーでした。

その後モンゴルで日本語教師をして

日本に戻ったら新聞記者と雑誌編集者をして

30を過ぎたお父さんになってから、福祉を学ぶため関西に戻ってきて大学に入って

今は病院で働いている、、、

という一風変わった経歴の持ち主。

 

さらに母は

出版社でデザイナーとして働いていたと思ったら病に倒れ

やっと慣れてきた社会人生活を失ってしまったような療養生活に入りました。

でもその療養生活があったおかげで漫画を描く機会が与えられ

その後、憧れていた作家三浦綾子さんの名作を漫画化させていただくような驚くべき人生が待っていたのです。

挫折と思われたところに花が咲いたようなものです。

 

父と母の人生を見ただけでも、人生って一つじゃない

何が待ってるかわかない、でもすごくおもしろい、、って思えるよね。

 

だから、

今のこの苦しみも

これから息子の道が豊かになっていくための材料だったんだと

思える時がきっとくるから、、

神さまってすごいんだから、、って

 

そう話していたのです。

 

 

何もかもはじまったばかり。

 

今は息子の新しい世界を

母はせっせとお弁当作りをして(給食はないので、笑)

応援したい。

 

「いってらっしゃい」と言えることは

当たり前のことじゃない。

 

それを痛感し続けてる数年間。

 

 

いってらっしゃいと言って

 

おかえりと言えること

 

テレビを観て一緒に笑いあえること

 

家族と一緒に暮らせること、、

 

 

数えきれない恵みが毎日に散りばめられてる。

 

 

崩折れそうな時に、不思議と祈ってもらえる場がひらかれて、、

支えられている。

 

私たちを取り囲む

大切な人たち、、

本当にありがとう。

 

 

 

 

息子と同じような経験をした人のために。

 

克服した経験談を誰か書いてくれてないかな、って探したけど

なかなか見つけられなかったから、、

これからも書いていきます。

 

 

出口のないトンネルはない、

本当です。

 

 

 

 

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2018年4月17日 (火)

一人で行かないと意味がない

それからも

しばらくは

感情の爆発は続いていた

でも

少しずつ頻度が減っていった

そしてついに

爆発はおさまった

なんとなく

出し切ったのかな、、

という感じだった

一気に回復したように

感じた

そして

「放課後 学校まで行ってみる」

自分からそう言い出した

徒歩3分で行ける学校が

とても遠くなっていた

学校の近くを歩くことさえ

恐ろしくて 苦しくて

目を向けることもできなかったのに…

息子の中で

何かが動き出していた

夕方

少し青い顔をしている息子に

「お母さんも一緒に行こうか」

と言うと

息子は

「一人で行かないと意味がない」

と一言

「いってきます」

戻ってくる息子の足音に耳を澄ませた

10分たつかたたないかくらいで

息子は帰ってきた

靴箱のところまで行って

友達に手紙を置いてきたそうだ

この一歩は

本当に大きな一歩だった

あんなにも

恐ろしかった場所に

一人で足を踏み入れることができたのだ

先生に会うのは

まだ難しかったのだけど

約1ヶ月後の放課後

先生にも会うことができた

ずっと心配して

あたたかく見守って、待っていてくださった先生

とても喜んでくださった

機転をきかせて

家庭科と体育のテストをしてくださった

少しでも成績をつけられるようにと

それからも

毎日たたかいの中にあって

自分の眉毛や髪の毛を引き抜いてしまったりもした

でも

とうとう

3学期が今週で終わる、

という時に

授業に顔をだすことができたのだ

息子が学校に行けなくなってから

4ヶ月がたとうとしていた

教室に入っていった息子をみて

友達たちが集まってきてくれて

声をかけてくれたり

抱きしめてくれたり

みんな ずっと心配しててくれてた

玄関先まで来てくれて

「会いたいんだけど」

と言ってくれた仲の良い友達

でも

息子は顔をこわばらせ

会えないと断ったことも

何度かあった

ごめんね、、

ほんとうにありがとう、、、

5年生はその日を入れて

残り2日だった

でも

大好きだったクラスに

友達たちの元に戻ってこれた

嬉しくて

嬉しくて

祈ってくれていた家族や友達に

報告した

みんな

自分のことのように喜んでくれた

息子の人生の中で

たいせつな一歩を踏み出せたこと

多くの人に支えてもらったことを

神さまに感謝した、、

そして

5年生最後の終業式

この前は1時間と終わりの会だけ行ったけど

この日は朝から

集団登校のみんなと一緒に登校した

帰宅した息子は

疲れた様子だったが

少しスッキリした顔をしていた

しかし

がっかりしたように

通知表を手渡した

「◯◯くんは『よくできた』が◯個もあったのに、

ぼくは◯個しかなかった、、」

当然のことだった

だけど先生は

3学期まったく授業を受けれなかった息子のために

精一杯つけられる部分を探して

成績をつけてくださったのだ

それでも確かに

斜線だらけの通知表を見て

ショックだったようだ

でも

この4ヶ月間

息子は

たたかい

もがき

向き合い

たいせつな学びをしてきた

それは

成績では表すことのできない尊い体験だ

そう思ったら

涙がこみ上げた

「だいじょうぶ!

イエス様の通知表は満点だよ!」

そう言って

息子を抱きしめた

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イエスさまの授業

前回の「PTSD」を投稿してから

思いもよらないほど

たくさんの方から

励ましのメッセージをいただいた

(Facebookでもこの投稿をシェアしたので)

また

同じ経験をしたという方もおられて

メッセージをくださった

みなさん

息子のために心を痛めて

わたしたちのことを心底思いやってくださって

その

あたたかな愛に

ふるえるような想いだった

「祈ってます」

その言葉は

いたる所から届けられた

その投稿をした直後くらいが

もっともつらい時期になった

その頃

夫が選んできた

子どものための認知行動療法のワークブックを

少しずつ進めていた

自分を追い詰めている苦しみを

客観的にみれるようになるためのワークがいくつかあった

その中で

自分の中の「心配」をクッションなどに見立てて

叩いたりしてみよう、というようなものがあった

ところが

そのワークで

今まで姿を表さなかった

「怒り」が爆発するようになった

大声で絶叫し

家が揺れるほどの力で

クッションを殴り続ける

それを一日に

何度も何度も

繰り返した

学校に行けずに

閉じこもってる自分への怒り

理不尽な現実への怒り

何度も絶叫する息子

その目は血走っていて

目を離したら

何をしてしまうかわからない

そんな状態だった

いつも

ニコニコしている息子の

こんな姿を見たことはなかった

でも

激しく殴りつけることや

叫ぶことを

やめさせなかった

出して

出して

出し切るしかない

出てきて当然の

怒りだから…

ひたすら

叫んで

殴りつけた後は

今まで以上に

うなだれて

涙を流した

「こんな自分もういやだ

生きていたくない

死にたい…」

まさか

11歳の息子から

そんな言葉を聞くことになるとは…

聞きながら

喉がしめつけられて

痛いような涙が流れた

でも

無理に否定して励まさず

あふれてくる

その気持を

そのまま

受け止めるようにした

そんなことを

何度繰り返しただろう

その頃は

外出するのも嫌がるようになっていた

そして

夕闇の中

「もう一人の自分が

向こうから見ていた」

というようなことも

言い出すようになった

聞いて気持ちのいい言葉ではなかった

続いている

毎晩の悪夢と重なって

息子を怯えさせていた

暗闇から手を伸ばし

息子を連れ去っていこうとする何者かから

必死に息子を守っているような

そんな感覚だった

そして迎えた日曜日

今まで

教会には普通に行けていたのに

その日は

行くことに不安を感じているようだった

感情が爆発する自分

「もし教会で

友達の前で

そんな風になったらどうしよう」

教会で友達と遊んだ後も

いつもとは違って

ぐったりと疲れた表情の息子だった

礼拝が終わって

座っているわたしの元へ

友達たちが来て

「ますみちゃんのために祈ろう」と

言ってくれた

5人くらい、、もっと?

いたかな

みんな子育てしているママたちだ

わたしは

息子の状態を

みんなに告げた

涙にふるえて

言葉にならないわたしの話を

一緒に涙を流して

うなずきながら

だまって聞いてくれた

そして

一人一人が

祈ってくれた

それから不思議なことが起きた

あれほど

ずっと続いていた

悪夢を見なくなったのだ

それは本当に

大きな喜びだった

せめて

眠りの中だけでも

休ませてあげたいのに、、

幾度そう思っただろう

無防備な眠りの世界に

襲いかかってくるもの

その恐怖は相当なもので

毎晩

眠るのを嫌がって

布団に入ってから

何時間も

その心の苦しみを

訴え続けていた

たくさんの人たちの

祈りのバリアーが

今たしかに

私たちを覆ってくれている

光がわたしたちを

包んでいる

そう感じた

ある時

黙って何か考えていた息子が

ポツリと言った

 「みんなは

  学校の授業を受けてるけど

  ぼくは

  イエス様の授業を受けてるんだ

  3年生の終わりの時と

  今と

  ぼくは2回の

  授業を受けてる

  3年生の時、とてもつらい思いをしたけど

  それは今のこの時のためだったんだと思う」

息子は静かに

ひとつひとつの言葉を

確かめるように 語った

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2018年2月 1日 (木)

PTSD

まさか

という感じだった。

夜眠る前に息子が

布団の上に座って言った

「歯が折れてから一ヶ月くらいだね」

「そうやね。
明日でちょうど一ヶ月やね

よくがんばってきたね。。」

この一ヶ月の息子の姿を思い浮かべて

わたしは言った

そして

その翌日から

息子は学校に行けなくなった

学校で

急に胸が苦しくなったり

冷や汗がたくさん出てきたり

吐き気がしてきたり

学校にいなくても

学校や、

学校に関わることを考えると

体に変調が出るようになった

(PTSD、、)

今まで幾度となく聞いたことはあったけど

自分とは関係のないことだった

この文字が頭に浮かんだ

心的外傷後ストレス障害

顔面に渾身のバットを受けたのだ

それは

想像を絶する恐怖だった

顔面にバットが当たった後

息子は

「ぼくの人生がおわった」と思ったそうだ

PTSDになって

当然だったのかもしれない

それから毎晩のように

悪夢にうなされる

青い顔をして

うなだれて

涙をずっと流す

自分を許せなくて

自分をたたく

フラッシュバック、、

そんな苦しみに怯える日々

夫は

大学で福祉を学び

精神保健福祉士でもあるから

この方面に詳しい

夫は

いずれ出てくるだろうと思っていたそうだ

怪我からちょうど一ヶ月

様々な喪失体験をした人が

ある区切りの期間を経て

精神的なショックがでてくることがあるそうだ

息子の場合もそうだった

とにかく

安心できる環境の中で

時間をかけて回復していくのを待つ日々、、

一時よりは回復してきたと思うけど

一進一退の日々

自分は何のために生まれてきたのか

この世界は何のためにあるのか

ぼくはこれからどうなるんだろう

人間はなぜ生きるのだろう

人間はなぜ生きるために生まれるのだろう

いずれ死ぬのに、、

息子は

そんなことも考え続けている

ふつう

青年期に考えるような

哲学的な悩みを

11歳の少年が自問している

あんなにも

友達と遊ぶのが大好きだった息子が

毎日引きこもって

友達が尋ねてきても

顔を見せることもできない

あんなにも

ひょうきんで

クラスのみんなを笑わせていた息子が

青い顔で思いつめている

そんな風に思うと

たまらなく苦しくなる

けど

救いなのは

教会には行けること

息子にとって

教会は家族

安心できる場所

だから学校には行けてないけど

教会は欠かさず行っている

ほんとに

ありがたい

教会のみんなに祈ってもらって

それがなければ

とても耐えられなかったかもしれない

学校のことや

いろんなことを忘れてるときは

いつもの息子通り

笑う

大好きなゲームしたり

Youtubeのヒカキンみてるときは

そこまで?

というくらい大爆笑してるときもある(^^;)

でも楽しく笑っていたかと思うと

急にうつむいて落ち込んでたりするから

それは

以前の息子にはなかったこと、、

昨秋

アートセラピーの学びをした

それは

「災害などで苦しむ人の助けになりたい」との想いから

その可能性として

アートセラピーにたどり着いたのだ

わたしが学んだ臨床美術は

直接的にはそういうケアをしている実績はない

でもアートプログラムをすることで

内面だけでなく脳も刺激される 

様々なよい影響がもたらされることがわかっていて

これから様々な分野で活かされることが期待されている

その学んだことが、

きっとこれからパズルのピースのようになって

何か道が見えてくるかも、、

学びを終えた時

そう思っていた

それが

PTSDで苦しんでいる息子を目の前にしていた

今わたしは

何ができるのだろうか

息子に

「絵を描いてみない?」といっても

気持ちが沈んでる息子は

そんな気になれないし

「これを通して回復してほしい」と願う

わたしの思惑を察して

よけい気が進まなくなる

無力

わたしは無力

「苦しむ人の助けになりたい」などと

声高に行動して

(もちろん心からそう思ったのだけど)

でも

所詮は

息子のためにも

お前は何もできないのだ

誰かに言われてるような

気がした

誰も

言ってないかもしれない

だけど

その想いがわたしを突き刺す

大切な息子が苦しんでいるのに

一緒に涙をながして

抱きしめることしかできない

毎晩

怖い夢を見ませんようにと祈って

でも翌朝

怖い夢をみたと目を泣きはらして起きてくる息子に

何もしてあげられない母親

ともすれば

落ちていくわたしの心

出口のないトンネルはないのだと

目には見えないけれど

共にいてくださる方がおられるのだと

思うようには

はかどらない回復に

目に見えないものを信じることが

いま

求められてるのだと

思わされる

数日前

なぜか無性に

絵が描きたくなった

夜の8時をまわっていた

「お母さん、なんだか絵が描きたい」

と言うと

「ぼくも描きたい」

と息子

アートセラピーの学びで出会った

オイルパステルを使って

描く

何かを描きたいというより

色や手触りや広がりを描きたいと思って

オイルパステルを

転がしたり

手でこすったりして動かしていたら

ふいに

物語が湧き上がってきた

「月は光を失ってしまいました」

「大変

 街の人々が月の光を楽しむ祭りがもう間もなくなのに」

「月は自分の光を探して旅にでました」

その物語をつぶやきながら描いていると

息子も

「ある日、朝日と共に人の乗っていない船が港に流れ着きました」

と物語を語り始めました

そしてまた

無言で手を動かす

「その船の中にあった宝の地図をもとに、人々は航海に出ました。」

無心に絵を描く

これこそが

アートセラピーの効果の出るところ

本当は

具象画ではなく抽象画的な絵を描くのだけど

そんなことはどうでもいい

無心になるとき

苦しみも

悲しみも

痛みも

過去も

未来もなくなる

ただあるのは 「今」

いろんなものから自由になる

不思議

絵を描こうって言っても

嫌がったのに

お母さん描きたいから描こうかな!

って言ったら

ぼくも描きたい、って言った

そっか

わたし自身が

描く喜びを味わっていたら

自然と

息子も惹かれるんだよね

なんだか

当たり前のことなんだけど

目からうろこだった

かなり遅い時間だったけど

時間は気にせず二人で絵を描いた

絵を描き上げた息子は

頬を高調させ

満足そうに絵を飾った

息子が学校を休んでから

ふた月を過ぎた

「見えることにではなく、見えないことに目を留める」

信仰を与えられますように

体の傷以上に

心の傷の回復は長くかかるという

じっと

静かに待つ

ゆったりと見守る

母となれますようにと

願う

「バネはね、伸びる前には縮まる

だからね、今のこの苦しいときも、、

これからグンと成長する

その前のステップなんだよ」

わたしの言葉に

息子はだまってうなずいた

Photo

朝日と共に訪れた船

Photo_2

宝の地図をもって航海へ

Photo_3

ある日

月は光を失ってしまったことに

気づきました

Photo_4

大変

街の人が楽しみにしている

星祭はもうまもなく

Photo_5

光を探す旅にでた月

ある日

地平線の向こうに輝く

大きな光を見つけます

「あ、あの光は、、、」

つづく、、かも(笑)

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喪失

あれは

昨年のハロウィンの日だった

学校から帰宅した息子は

「今日 野球するねん」と

嬉しそうに目をキラキラさせていた

6年生になってから

野球のおもしろさに目覚めたみたいで

放課後、友達と野球ができた時は

「楽しかった~」と毎回目を輝かせてた

「学校(の運動場)行ってくる」と

息子が出かけた後

デスクに向かって仕事をしていた

その時電話が鳴った

図書ボランティアで一緒のママさんからだった

普段電話がかかってくることはあまりない方だから

「どうしたのかな?」と思いつつ

電話にでた

「息子さんの顔にバットがあたったみたい

血を出てる

歯が折れてるみたい」

その方は慌ててそう言った

一瞬頭が真っ白になった

歯が折れてる??

とにかく行かなければ

徒歩1分で行ける学校が遠く感じた

駆け付けると

血を流して

分厚いガーゼが下唇にあててある息子の姿があった

上着は血まみれだった

表情はなく青ざめ虚ろな目の息子

口を少し開けさせてみると

歯が2本折れていることが確認できた

あまりのことに

息子を抱きしめて泣いた

野球をしていたお友達たちが

落ちている息子の歯を集めてくれた

歯は粉々にくだけていた

目を輝かせて出かけていってから

1時間もたっていなかった

その後、近所の信頼できる歯科に行き

診てもらった

口を大きく開けるのも難しい状況だったが

先生がなんとか診てくれた

前歯のサイドがそれぞれ1本ずつ折れていて

前歯も殴打のため動いてしまっていた

数ヶ月前に口内炎を診てもらった時に

「いい歯だ」と褒められたばかりだったこともあり

歯医者さんはとてもショックを受けられ

心配してくださった

その日ちょうど休みで外出していた夫も駆けつけてきた

「必ずなんとかします」とハッキリ言ってくださった歯医者さん

その言葉は震える心をどれだけ励ましてくれたか

その日は剥き出しになってしまった歯の神経を抜く処置をしてくださった

翌日は念のため脳神経外科へ

顎の骨も脳にも異常はなかった

最悪の状況は免れたのだと

とにかく

失ったものを嘆いても戻ってはこないので

顎の骨や

鼻が折れなかったこと

当たったのが頭でなかったことは

不幸中の幸いであったのだと

私たち夫婦も、息子本人も思った

今回のことで難しいのは

自分でこけて歯を折ったというようなものではなく

顔面にお友達の振ったバットが当たってしまった

ということ

ひどい打撲の痛みと

歯を失ったことに苦しむ息子

でも

バットを当ててしまった子の苦しみは

いかばかりか

そのことを思うと

何ともやりきれない

想いに押しつぶされそうだった

この出来事は火曜日であったと

記憶してる

切れてどす黒く腫れ上がっていた唇

しかし

子どもの回復力というのはすごい

翌週には口元の傷はすっかり治り

登校することができたのだ

かなりショッキングな出来事かつ危険な事だったので

学校でも問題になり

全校集会で話があったり、、、と

息子は一躍時の人(?)となった

求められれば気軽に歯を見せて

「歯が折れちゃったんだ」とお友達に説明していた息子

その後

参加できるか心配していた音楽会でも

アコーディオンの合奏と合唱をすることができた

そして楽しみにしていた奈良への校外学習も

笑顔で行ってこれた

大変な苦しみであったけど

その中で「いいこともあった」と発言した息子に驚かされた

今まで話したこともなかった別のクラスの子から

「大変だったね。歯はどうなったの?」と声をかけられたり

心配してもらえたりしたから

だという

そして何より

バットを当ててしまったお友達のことを

責める言葉は

一度も息子の口から出てこなかった

3年生の終わりの頃に

息子が起こしてしまった問題があった

それは誰かを傷つけたり、破壊したり

はたまた盗みを働いた

というようなものではないのだけれど

とても良くないことだった

それで息子は

「加害者になってしまった」苦しみを味わった

それは母であるわたしも同じだった

してしまった事は重い十字架となり

息子と母はずっと負っていかなればならない、、

そんな日々を過ごした経験があった

たぶん

その経験もあって

バットを振ったお友達の気持ちが

痛いほどわかっていたんだと思う

言葉にできないほどの衝撃と痛みを経験して

知ることができたものも

あったのかと、、

今回の出来事を通して

息子の成長を思っていた

それが

ちょうど

ハロウィンから一ヶ月がたとうとしていた頃だった

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2017年9月 8日 (金)

Vision   -Way maker-  2

わたしの中に与えられた

アートセラピーへの想い

それを少しずつあたためていた

でも

とにかく忙しい

その忙しさの中

アートセラピーの学びの場はないものかと調べたり

図書館で本を借りたりした

とっても良い本があって

そこで行われているアートセラピーの内容は

とても深いものだった

でも

その先生のことを調べてみると

う~ん

やはりこういうことをされてると

カリスマチックというか

そういう方向に行ってしまわれるのか、、、(^^;)

わたしはやはり

自分自身がそうであるように

神様のアイデンティティーに帰っていくことで

心のダメージや

心の奥のからまった感情が解きほぐされていくような

そういう体験をしてきた

それの後押しを

アートセラピーでしてあげられるような

そんな方法はないのだろうか、と思った

聖書の神様の土台にたっているものを学びたいと思った

そこで思い浮かんだ学校があった

昔出版社でデザイナーをしていた時に

そこの広告を取り扱ったりしたこともある

研究所だ

でも東京にある

ちょっと調べてみたけど

やっぱり東京

通信もあるみたいだけど

美術だよ?

実技の世界なのに

通信ってなあ、、

と思い

とまってた

でも今年のはじめの頃

友達にそのことを話してみた

そしたら

「通信やってみたら?」と一言

そうだな

通信でも

とにもかくにも初めてみたらいいのかもしれない

そして

資料請求をしたり

問合せたりし始めた

するとすると

なんと、、、

京都校開設!の案内が

京都!通える!

関西からの問合せが多くなったのかもしれない

とにかく

神様がわたしのために

道を拓いてくださったのだと確信した

感謝!

断然

通信より生で学ぶ方が良いに決まっている

そして

受講のための準備をいろいろ進め始めた

ところが

いよいよ

申し込む時となって

途端に

尻込みしだした

受講するためには

費用もかかるし

京都に通うことで家族に負担もかける

とにかく毎日ものすごく忙しいのに

わざわざ自分で追い討ちかけなくても、、

という思いがよぎり始めたのだ

これは神様が示してくれた道だと思ってきたけど、、

本当にそうなのかな

わたしが自分で突き進んでるだけじゃないのかな

って

思い始めてしまったのだ

そしたら

不安で

わからなくなった

そんな時に

毎月受けているゴスペルの個人レッスンがあった

シカゴ出身のゴスペルシンガーに指導を受けている

その日レッスンを受けていた曲

「Way maker」

歌詞の一部ですが、、

Way maker

Miracle worker

Promise keeper

Light of darkness

My God

That is who You are

You wipe away all tears,

You mend the broken hearts,

You are the answer to it all

Jesus

このフレーズを賛美していて

涙がとまらなくなった

そうだ

主ご自身が答えなんだと

道をつくられるのは主なんだと

何も恐れなくていい

主は涙をぬぐわれ

癒やされるのだと

そのみわざをおこなわれるのは

人ではなくて主

主が不安でとまっていたこころに

触れてくださったように感じた

主の追い風を感じた

恐れずいこう

色々とハードルがあると

感じたとしても

必ず主が乗り越えさせてくださる

そう期待して

とにもかくにも

まだ何もはじまっていない

何が待っているのかわからない

これを学んだからって

いきなり何かをつかめるものでもなく

誰の助けになれるわけでもない

でも

踏み出さなければ

何もはじまらない

まっさらなわたしで

臨もう

いってきます(^^)

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Vision  -Way maker-  1

去年のはじめだったと思う

ふいに

心の奥に湧き上がった想い

「アートセラピーだ」って

わたしの中で

様々なことで苦しむ人のため

少しでも力になれること

ないのだろうか、、

って

祈り

探ってきてた

その答えが与えられた、、

と思った

話はさかのぼる

その前の年の2月1日

日本中が震撼した

一人のジャーナリストが

テロリスト達によって命を奪われたのだ

なんとしても彼を救いたいと

彼のまわりの人も

彼と出会ったことのない人も

願い

祈った

わたしもその一人だった

ある日知人がfacebookに

一人のクリスチャンジャーナリストが紹介されている新聞記事を投稿していた

そのジャーナリストが

後藤健二さんだった

わたしはその記事を読んで

こころから感動した

「こんな活動されてる方がおられるんだ!」と

ただ現地のニュースを届けるだけではない

苦しい立場にある人々に寄り添い、活動された方

そして

その直後に

彼がテロリストの人質となっていることを知った

知人はそれだからその記事を投稿していたのだが

彼の活動に心底感動した後だったから

ものすごいショックだった

もし

「人質になってる人」の記事として読んだなら

もっと違ったかもしれない

とにかく祈った

朝起きたときから

夜眠りに落ちるときまで

祈りに祈った

出会ったことのない人のために

これほど祈ったのは初めてだった

だけど

その祈りはきかれなかった

彼は

一粒の麦となられた

彼の想いを受け継ぎたいと

彼を知る人たちは立ち上がっている

わたしは

この方にお会いしたことはない

でも

彼の大切にしてきたこと

それをわたしも

受け継いでいきたいと思わされた

さらに時はさかのぼって

2000年の9月11日に起きた

同時多発テロ

その後からおこったアフガン戦争

復讐の連鎖はとまらなかった

連日

新聞には傷つき涙を流す

アフガニスタンの子どもたちの写真が載っていた

わたしはその子達の写真を見ながら

泣きながら祈った

この子達が笑顔になれる日がやってきますようにと、、

そして

それから何年もたって

そう後藤さんの事件の時に知ったこと

後藤健二さんは

アフガン戦争の後、現地の子どもたちへ

色鉛筆やクレヨンを届ける活動をされていた

わたしが祈っていたあの子達のために

夢につながる道を届けていてくれたーー

食料

もちろん必要です

住まい

ないと困ります

でも

それだけではないのです

人が生きていくのに

必要なのもの

決して子どもに見せるべきでない場面を

たくさん見て、味わった子どもたちの

心の傷はいかばかりか

その子どもたちが

前にすすめるように

夢を

希望を描けるようにと届けられた

色鉛筆とクレヨン

わたしの中にある

いろいろな想い

そのピースがあわさった

それがアートセラピーへの

道だった

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2016年10月18日 (火)

葛藤

祈っていることがある

祈って

祈って

神様と格闘するように

祈っている

本当にこれが

わたしの道なのか

この道を

主が用意されたのか

自分には大きすぎるミッションの重みにたえた数年

でも

それでも

それが主が用意してくれたんだと

確信できた

だから

未熟すぎる自分でも

臨まなければならないと

歩みだした

もしも

これが確かに

主が用意された道なのだと

確信できたなら

どんな道でも

行くしかない

でも

今度のはどうだろう

本当にわたしなのか

わたしがしていいのか

もし違ったら、、、?

怖くて

恐ろしくて

これに挑まなけばならないと考えただけで

涙がでる

主よ

わたしには無理です

わたしがやってはいけない

そうではないですか、、、?

ずっと

問い続けて

答えがでたと思って

いや

やっぱりダメだ

って

逆戻りして

でも

思い浮かぶのは

主がモーセに語られた言葉なのだ

イスラエルの民をエジプトから連れ出すと

エジプトの王パロに告げよと

罪を犯して逃げ出した男に

無理難題と思われることを

主は言われた

モーセは尻込みする

でも

主は言われる

「さあ行け。わたしがあなたの口とともにあって、あなたの言うべきことを教えよう。」

答えはもう出てる

ただ

それに立ち向かう

勇気を

覚悟を

与えてくださるように

主ご自身がわたしの手とともにあって、

描いてくださると

信じる心を

与えてくださるように

恐れず

真実を伝える者となれるように

どうか

わたしのために

祈ってください

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2016年7月23日 (土)

聞かれた祈り

ふつう「祈りが聞かれる」というのは

神様が祈りをかなえてくださる という意味だけど

このお話はそれとはちょっと(?)違う


ちょうど一年くらい前のこと

まばゆい日差しが一日降り注ぎ

蝉の声が遠くからも近くからも響いてくる夏の日

暑さに強くないわたしは

夕方からのご飯作りに備えて

短い時間少しお昼寝しようとベッドに身を横たえた

10分でもウトウトできたら元気でるから、、

と少しまどろんできた

その時でした

網戸をしめている窓の外

タタタッと


駆けて来る子どもの足音がしたかと思うと、、

女の子のはっきりした声が聞こえた

「土曜日までにお母さんのギプスがとれますように!」

そしてまたすぐに

タタタッと駆けていく足音

ウトウトしかけていた私の目は一気に覚めた

我が家は3階建てのマンションの1階の角部屋 

そしてわたしの仕事部屋兼夫婦の寝室のある部屋の南西の窓のすぐ外には

お地蔵さんの小さな祠がある

でもお地蔵さんの祠は壁で囲われていて

私たちの部屋からは直接は見ることはできない

地蔵盆の時期なんかは

ゴスペルを歌うクリスチャンの私のもとに線香の香りが漂ってきたりする、、笑
.

恐らく女の子は

周りに誰もいないのを見計らって

急いで駆けてきてお地蔵さんに祈ったのだろう

それがまさか

見ず知らずの私に祈りを聞かれてしまったのだ

ごめんね、、と申し訳ない思いに襲われつつも

「お母さんのギプスが取れますように」と祈った

女の子のお母さんを思う気持ちに

思わず目頭が熱くなった

子どもにとって

お母さんがしんどそうにしていたりするのは

一番不安でつらいことだから

女の子はお母さんのことを思って心配していたのかな

土曜日はちょうど小学校で夏祭りのある日

もしかしたら女の子はギプスの取れたお母さんと一緒に夏祭りに行きたいと思って

そう祈ったのかもしれない

(全然違うかもしれませんが)

盗み聞きする気など全くなかったものの

何とも言えない罪悪感とお母さんを思う女の子の優しい想いが

切なく胸にあふれてきた

わたしは

女の子にかわって

天の神様にお祈りした

「天の父なる神様

どうぞ、あの女の子のお母さんのギプスが取れますように

そして女の子とお母さんが笑顔で土曜日を迎えらるようにしてください、、、!」


遠くから響いてくる蝉の声と女の子の想い

忘れられない一コマとなった

さてさて

祈りは聞かれたのかしら…?


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2015年8月15日 (土)

NO PEACE,NO SMILE.

No_peace_no_smile_mini

日本が平和への道を歩み出してから

70年の節目


毎年8月は
戦争のこと 平和のこと
思いめぐらす


そして母親となった今は
息子に戦争の悲惨さ
恐ろしさ
平和の尊さを伝えている

2015年
特に平和への想いは強くなった

それは
日本がこの70年間
土台としてきたものを
ある人が揺るがそうとしているからだ

決して
決して
手放してはならない

この平和の道を歩み出すために
どれほど多くの血が流され
涙が流され
人生が奪われてきたか、、、
忘れてはならない


わたしは戦争を知らない世代だけれど

わたしが出会った人や
尊敬する人達が
この心にしっかりと刻んでくれた

また
わたしが出会った大切なアジアの隣人たちに負わせた
深い傷が今なお彼らを苦しめているのだと知った


_mini


この国が尊んできた
平和憲法の解釈をいじることを
断固として反対します


それは
決して触れてはならない
この国のたましいだからです

多くの人々の涙をもとに
育まれてきたからです

自分は本当に無力な人間です
一人のイラストレーターに一体何ができるでしょう

でも
民主主義のこの国に生かされている

この特権と責任を思って
想いを表していきたいです

Peace_mini

平和

この何にもかえがたい
宝を手放さない、、

そう思わされる
8月15日です

※この投稿にのせている平和をイメージしたイラスト3点は
平和への想いを共にしてくださる方、平和活動をされている方なら
どなたでもご自由に使っていただいてかまいません。

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